都立特別支援学校で起きたハラスメントの記録(リライト版)

3月中旬に、同じクラスを担当する予定だった男性教員が倒れ、長期の病気休暇に入った。彼が担当する予定だった中学部訪問学級窓口およびナツオくんの担当が私の分担の中に入った。中学部の担当は初めてで、どのように運営していくべきか見通しをもてないまま窓口を務めることとなった。生徒ケースや中学部の行事等の引継ぎ等も、年度初めの激務の中、思うように時間がとれず、焦りも感じていた。
私の担当する生徒がマユミさん、欠席がちのテツローくん、そして多動傾向・こだわりの強いナツオくんの3人となってしまったのだが、ナツオくんの「こだわり」のひとつに、マユミさんに抱きつく、引っかくなどの行為があり、二人を近づけることができないので、マユミさんとナツオくんを同時に見ることは事実上不可能だった。それで、私は太田主幹や本校の水野主任に応援を頼んだが、学年はじめなので本校も余裕がなく、空き時間をつぶして応援に入るという状態になったこと、また、校長の方針で主任・主幹は学年・クラスには入らない体制となっていて、男子生徒の圧倒的に多い訪問学級全体で男性教員が2名しかいない(しかも、うち1名は病休)という状態で、1名の男性教員・野田tに大きな負担を強いることとなった。4月下旬に講師(週2回)が決まるまで、このことは私にとって精神的にたいへん辛いものであった。
慣れない中学部ということもあり、1日3時間残業(休憩時間45分返上+16時55分退勤時間以降20時近くまで残業)しても、次の日の授業の準備がやっとという日が続き、疲労と不安で心身のバランスが次第に崩れていった。
訪問学級の教員も、昨年度は互いに助け合ったりなどよい雰囲気だったが、今年度は部会を開いても何かしらけたような雰囲気で、それがなぜだかわからず焦りを感じつつも、とにかく部会資料をしっかり作って議題を明確にし、会議時間のロスを防ごうと私なりに努力した。しかし、毎日3時間前後も残業してやっと次の日の準備ができるという状態で、私自身の力も限界に近づき、私がもっとも苦手とする分掌(研修部)の「学部研修」の年間計画の提案をする時、十分に準備ができなかった。会議ではその点について小西t等同じ学部の先生方から厳しく追及され、そのことがきっかけで私はこれ以上無理だという気持ちと、私まで倒れることはできないという思いとの間でパニック状態になり、太田主幹に泣いて「研修部はこれ以上無理」と訴えた。この時2日間年休をとったが、副校長から電話があり、その時もパニック状態で「もう無理、研修部だけはやめさせてほしい」と訴えた。
この時は太田主幹の計らいで、学部研修の仕事は免除してもらい、ナツオくんの担当も受け持ち生徒が1名の青田tになり、窓口は野田tが受けてくれた。
今考えれば、この時点で病気休暇をとり、2~3ヶ月休めばよかったのかもしれない。しかし、欠席の多いテツローの進路等のことや、同じ部署から2名も倒れることはできないという思いが強く、心身のバランスが十分に回復していない状態で仕事を続ける結果になった。