都立特別支援学校で起きたハラスメントの記録(リライト版)

9月16日、朝1時間年休→女性検診受診→出勤 で旅行命令簿を出す。その際、年休簿も併せて提出したと勘違いする。
10月1日8時50分ごろ、学校より電話。取ろうとしたら切れたので、こちらからすぐに折り返し電話。南村副校長が出たと思ったので、服務のことだと思い、年休簿を提出したはず、ということを話したら「調べてみます」という返事だった(後で知りましたが、電話に出たのは南村副校長ではなく、経営企画室のTuさんでした)
同日2時半ごろ、女性検診を終えて出勤。大下副校長がいらしたので、年休簿の件を尋ねると「提出されていない」ということで、年休簿の提出忘れを知る。この件について、校長が話をしたいということで、同日3時20分ごろより校長室で事情を聴かれる。
校長室に入り、私は年休簿提出忘れの件を謝罪する。

以下、当日の経緯および校長・副校長とのやりとりの概要。
女性検診に出かける準備をしていたら、学校から電話が来た。取ろうとしたら切れたので、すぐに折り返し電話をした。「年休簿が出ていない」という話だったので「出したはずですが」と言ったら「調べてみます」と言って電話が切れた。(この電話、私は南村副校長だと思ったのですが、経営企画室のTuさんでした)
この電話のやり取りについて、執拗に校長から聞かれる。私が答えると、私の言葉をさえぎって、Tuさんの話(自分の方から年休簿未提出の話はしていない)と私の話の食い違いを執拗に指摘して、校長室にTuさんを呼んで確認させようとした。
校長らは、私が8時50分の時点で年休簿の未提出を認識していて、その上で電話で年休を申請した、と認識していた様子だった。
私は、女性検診を受診した後に学校に戻り、こちらから大下副校長に年休簿提出の有無を確認して、出ていないという答えを聞いて、初めて未提出を知った、と何度も繰り返し説明して、やっと上記の誤解を解くことができた。
校長(私が年休簿提出を忘れたことについて謝罪をしたところ)「服務のことはごめんなさいじゃすまないのよこれ!服務のことはさんざん言われてるはずですよ!」
校長(私が学校に折り返しかけた電話の相手を南村副校長だと思いこんだことについて)「なぜ確認をしなかったんだ、だれが受けてるのか。自分が話す相手を確かめないというのがありえるの?電話の中で。確認しないであなた、よく電話ができるね。大切なことを伝えるのに、相手がだれかわからないのに」
校長「服務と女性検診のどっちが大切だと思いますか?」
私「どちらも大切だと思います」
校長「まずあなたが東京都の教員である以上は、まず服務でしょうが!」
校長「服務事故ですよこれは」
校長「あなたには、反省文、謝罪文をきちんと書いてください。私に対して」
校長「あなたからはそれなりの誓約書をもらわなければならない。そうしないと、あなた自身公務員として勤務するということについて難しくなる、それくらいのことなのですよ」
校長「忘れたじゃすまないんですよ」

(以下、異動の話)
校長「あなたが4年間この学校にいる間、私たちは何の成果も受け取っていない、と感じています」
校長「あなたが周囲と協調できていない。いろんな人との間でトラブルがある。子どもの安全を守れるかと言いうことにも大きな不安がある。あなたには教科の指導をお願いしたのにもかかわらず、韓国の文化に触れたいといって私に反論してきた。私はスポーツ教育を推進したいと全体の中でお願いをしたところ、あなたはスポーツ教育は必要ないと、私の経営方針に反論した。
私は時々あなたの授業や様子を見ているが、子どもに寄り添って、子どものことを思いながらあなたが授業をしているとはなかなか思えない。肢体不自由のある子どもたちに、本当に真剣にやっているとは思えない。あなたが(ケースを担当してる)M子と歩行練習をしていることもよく知っています。他の先生方からいくつか情報がありますが、何度か倒れたことがあると聞いています。にもかかわらず、保健室に報告があったという形跡がない。本当に怪我をしていないかどうか、誰がどう確認した? 
肢体不自由の学校は介護職員の導入で教員を大幅に減らしている。授業をすすめるのは先生方一人一人にかかっている。あなたが国語の授業ができないために、東京都にお願いして、  (国語の)講師をお願いしている。大きな人件費をかけていますよ。あなたがこれまで26年間積み重ねてきたものは、この学校には何も残っていないですよ。だからこそ、あなたが肢体不自由の学校でやっていくのに難しさを感じている」
私「前任のB特別支援学校は、施設提携校で、Bで6年間学ばせていただいたことをおかえししていくことを考えておりますが・・・」
校長「私はあなたに子どもの命をあずけられないよ。授業にしても、身体の取り組みにしても、医療ケアのことも含めて、あなたに子どもを預けることは私は難しいと感じている。学年の先生方は、あなたのことを本当によくカバーしてきたと思います。でもそれも限界だろうな、と感じています。来年は難しいと感じています。私の人事構想の中で、あなたはこの学校の中で役割を果たせない。病弱部門ができれば、教員の体制はもっときつくなり、専門性がもっと求められる。誰かをカバーしていくのは、とても無理だ。」
校長「この4年間、あなたのやってきたことが、私にはなにも見えてこない。わたしはこの4年間の中で、何度も、あなたが教員としての資質、専門性に欠けるんじゃないか、という思いをずっといだいています。教育委員会にお願いして、学校外の研修をお願いしようかとも思っています。あなたが今この教育に携わっていくには、力不足。大事な子どもたちを預けるのは難しい。高等部1年から3年まであなたが持ち上がって、あなたが関わった中で子ども達がどれだけ伸びたか、正直なかなかむつかしいと思っている。このままあなたが残りの教員生活を送るために、この学校があるわけじゃありませんから」
校長「あなたが教員であるという自覚がどこまであるのか、わからない。肢体不自由教育にかける情熱がどうなのか、わからない。この4年間、あなたが子ども達に、学校に残したものは、何かあるか?成果として、何も見えてこない。今の3年生を3年間見てきて、子どもたち自身が、あなたに不安を感じていますよ」
校長「永年勤続者として、あなたも今回表彰の対象でした。あなたの感謝状も用意してますよ。多くの先生方の長年の努力を私はいつも嬉しく思い、その思いを込めて感謝状を渡しています。私は今回残念ながら嬉しくない。あなたに「長年勤めてごくろうさまでした」と素直に言えない。私はこの4年間、あなたが何とか変わってくれるかと待ちました。もう待てない。悪いけど。新高1を、とてもじゃないがあなたには任せきれない。卒業する子どもたちに、3年間を振り返って、あなたは胸を張って「社会で頑張ってね」と言えますか?あなたがそう言ったとしても、子ども達は素直に喜べないと思います。私は来年度の人事構想の中で、あなたをこの学校で担任としてやってもらうことは一切考えていません。この異動のタイミングで、あなたには新たなところで頑張ってもらいたい」
校長「あなたがこの学校で頑張ると言われても、この4年間をみてきて、とてもじゃないがこれ以上信用できない。あなたに安心して子どもを任せることはできない。あなたが肢体不自由の学校で継続してやりたいと言うのならば、私はそれなりの研修を受けてもらおうと考えています。学校以外の場で、しっかりと研修してもらおうと思います」
校長「私の学校経営計画、読んだことはありますか。それを達成しようと、あなたは何か努力をしたことがありますか。学校と言う組織がどんなものだか知っていますか。校長の教育方針に沿って、先生方は授業を行い、子ども達を教育しなくてはならない務めがある。あなたが私の教育方針に対して異議を唱える、それは構いませんよ、色々な考えがあるわけですから。でも、なぜそれが必要なのか、それを認めながらあなた自身が考えなければならない」
校長「民間企業と違って首になることはないかもしれないが、社会も変わってきている。大阪市の分限処分になった職員のことは聞いていますか?いろいろな仕事がどうしてもうまく進まない、公務員として資質が伴わないのでは、ということで分限処分になった。地域によってはそうしたところもあるのです。それだけ社会が公務員に厳しい目を向けている」
校長「3年前、あなたには当時の高1の担任を任せました。なんか変わってくれるんじゃないか、と期待をしていました。1年目、いろんな先生から、あなたと協力してやっていくのは難しい、2年目、もう勘弁してください、一緒にやっていくのは難しい、と何度も言われました。3年目、周りの先生に協力をお願いしてきました。あなたをカバーする力はもうないですよ。私はそのことでずっと悩み続けている。「あなた異動です」というのは簡単ですよ。しかし、あなた自身が自分の教員生活を考え、あなた自身に決断してもらわなくてはならない、だからこうして話しているのです」
校長「(私が異動を承諾し、B特別支援学校への異動を打診したら)Bに戻ることはできない。短期間で戻ることはできない。近くに住んでいるから、というのもなかなか難しい。通える範囲で、ということで、できるだけ努力はしてみます。必ずしも、異動ができるとは限らない。その時は(現場を離れて)もう一回勉強してもらいます」
校長「自己申告の「異動してよい」のところにチェックをし直して提出してください」