都立特別支援学校で起きたハラスメントの記録(リライト版)

11月12日(月) 川上副校長より携帯に。
  10:41 介護休暇明け復帰日の確認(6ヵ月後なので、28日と答える)。
      父の退院予定を聞かれる(まもなく、と答える)
  10:57 再度電話が来る。
復帰日について、介護休暇は180日が限度なので、計算しなおしたら
24日が最終だと言われた。(もめたくなかったので、28日までの3日間は年休にする)

11月28日(木)復帰第一日
  授業参観日ということで、授業見学と身辺整理。午前、校長面接(録音)。
  分教室で生徒に「韓国」の絵本(実際は在日コリアンの作品)の読みきかせをしていたことに触れ、 
  日本の文化に触れさせることを優先してほしいと言われる。本当に傷つく。

11月・12月
  28日の話では、私の所属について、小学部で考えている、という校長の話だったが、その後一貫して出勤~退勤まで「放置」されている状況。生活指導部主幹から12月上旬に教材作りを依頼され(「おかしも」避難訓練用)、その後、下校(スクールバス)安全確保人員が不足した時に応援を依頼された(これは、その後もできるだけ自主的に協力するようにしている)。授業見学は児童・生徒に影響しないように、体育館活動のみ(3階ギャラリーから見学)。研究授業の参観。
12月18日ごろに、川上副校長より、PTAだよりを各教員のレターボックスに配布するよう依頼される。音楽専科教員からは、19日の高等部456グループの発表の参観をお誘いを受け、参観する。
 そのほかは、パワーポイントの使い方を中心に自主研修。小学校の教科書を通読する(なかなかできないことなので、この機会に)、学校のカリンでシロップ作りを試みる、等。
 他の人とは、必要以外ほとんどしゃべらない。分教室を追われた身なので、関わりたくないだろうな、敬遠したいだろうな、というのは理解できる。生活指導部の方々も、下校の応援に来るのは勝手だが、あまり私に関わりたくなさそうなようす。
 自主研修の一環で、韓紙工芸の本を見ながら段ボール箱に手持ちの韓紙で模様を剪り、それを貼って教材づくりの練習をした。ちょうど更衣室のゴミ箱がなかったので、完成した箱にナイロン袋を入れてゴミ箱として使えるよう置いたところ、数日で誰かに廃棄されてしまった。あとで聞いた話では、私が箱を制作する前に、私物のゴミを捨てさせないため施設管理担当者?がゴミ箱を撤去したということがあったそうで、仕方ないと思いつつモヤモヤ。

12月21日(金) 風邪気味で体調が悪く、6時半にいったん起床するが、無理そうなので服薬して、目覚ましを8時15分にセットして蒲団に入る。はっと気づいて時計を見ると、8時50分だったので驚き、学校に電話をして1日年休を伝え、連絡が遅れたことを謝罪する(大下副校長)。幸い「8時半前に連絡を受けたことにしておきますよ」とおっしゃってくれた。(休暇簿もそのとおりになっていた)
3年前にも同じ失敗をしているので、繰り返すまいと思っていたが、どこかで気持ちの緩みが出ていた。気持ちを引き締めないといけない、こちらから「餌」を蒔いてはいけない、と思う。

26日に職員室の机の総入れ替えがあり、各職員に荷物入れ用のダンボールが配られ、保管場所を指定された。私には、ダンボールも保管場所の指定もなく、完全無視されている。わざわざ担当者をつかまえて指示を仰ぐほどのことでもないので、ここ1ヶ月間ほとんど使われている形跡のない場所に自分の荷物を勝手に置かせてもらう(だめなら担当者が指示をすればいいだけの話)。
机は26日に搬出、27日に業者が搬入。

27日(木)出勤後、9時開始の悉皆研修まで全体指示なし。時間がもったいないので、研修前に介護職員さんの机上に分会新聞を配布。勤務時間終了後、分会新聞を本校教員に配布。

*復帰から1ヶ月、仕事を指示されることはほとんどなく、出勤から退勤まで「放置プレー」。3学期はどうなるのかしら? 「干されている」のも楽でいいのですが(苦笑)。

1月下旬(金曜日) 川上副校長より、次週から午前中の小中高の授業に、各学部の主幹といっしょに入る(簡単なスケジュール表を渡される)ように言われる。ただ、体制上、授業の都合などで、入れないこともあるので、そのへんはよろしく、ということだった。
1月下旬(月曜日より) 小(木)中(月水)高(火金)の授業に、スケジュール表どおりに入るつもりでいたが、どの教室で行なうかすら知らされていないので、1回目は主幹の声かけを待って行くように心積もりをしていた。中学部主幹からは水曜日について2~3回ほど「忘れてた」と言われる。高等部主幹からは声もかけられず無視されつづける(金)。
2月下旬 金曜日、教材作りの練習を行なっていたところ、中学部主幹から、今日は高等部に入るのではないのか、と言われたので、今までずっと何も言われていないので、体制上の問題と思っていたと答える。高等部主幹には、きちんと言ってくれないとわからないし、動きようがない、と申し上げる。高等部主幹は、あきらかに私と関わりを持ちたくないという態度がありあり。
2月28日(木)校長と自己申告面接。(録音記録あり)。不安と恐怖で心臓が激しく打ち、出勤時間から面接時間の1時の間に、10回近くトイレに行く(軟便)。
 五輪反対の件、朝鮮語で子どもに語りかける件(アンニョン(こんにちは)程度)、分教室分教室の授業(朝鮮昔話絵本の読み聞かせ)の蒸し返し(よほど根に持っている?)。子どものことがかかっているので、妥協できない部分、怖かったが、必死で反論する。たぶん、校内人事で報復されると思う。
最初から最後まで、よい話は全くない。朝鮮語の件については、校長に密告している教員がいる(主幹?)ことがはっきりした。

2013年度。
高等部1年重度重複学級に配置。ベテラン主任とペア担。
昨年、空回りしてしまったことを反省し、控えめにするように心がけている。
この学年の生徒は普通学級3名、重度重複学級3名の6名というこぢんまりとした学年で、給食や行事などほとんどの活動は学年全体で動いた。教員体制は普通学級・重度重複学級それぞれ担任2名ずつ+介護職員1名。

4月9日(火)退勤時間後、流しの片づけをしていたら、副校長が来て、明日の高等部入学式の服装について聞かれる。「こんなことを言ったら本当に失礼ですが」と大いに恐縮しながら「周囲に溶け込むような服装なのか」「気合を入れて周囲から浮くようなことはないのか」「出勤する時の恰好ぐらいでもかまわない」といった趣旨の質問・発言をうける。私は「質問の意味がわからない」「チマチョゴリを着るつもりでいる」「チマチョゴリが周囲に溶け込まない、というのなら、茶髪もそういうことになりませんか(私自身は教員の茶髪に賛成であることを言い添える)」「着る予定のチマチョゴリは白黒の地味な色合いで、10年ぐらい着ている。セクトンチョゴリのような派手なものではない」と言う。非常に気持ち悪い。
 今まで、変な管理職にさんざん当たり、何度もひどい目に遭ってきたが、チマチョゴリについて四の五の言われた覚えはない。何と言う世の中になったのか、嘆かわしい。