都立特別支援学校で起きたハラスメントの記録(リライト版)

5月1日(火) 出勤すると、砂村主任から、カズオくんの担当から私を外す件で、放課後に川上副校長が来ると言われた。不安と焦燥で頭が真っ白になり、ゆれる気持ちをかろうじて抑えて授業の準備をしていた、授業開始時間が近づき、生徒のところに向かうところで、砂村主任にもう一度同様のことを言われた。私は抑えていた気持ちを大きくゆすぶられ、涙がぼろぼろ流れた。カズオくんの事故のことで、カズオくんに対して腰が引けてしまう自分を絶えず叱咤し、また、質問しても無視されたり、子どもの身体のことなど、なかなか覚えられずに焦りを感じていた部分で気持ちが落ち込み、それをなんとかしようとひそかに心療内科に通い、服薬をしてまで自分なりの努力をしている自分自身をすべて否定されたようなショックを受けた。
まだまだ信頼関係や実態把握が十分できていると言えない生徒との授業の直前に、心の傷を抉り出し塩を塗るような言葉がけをされて、平静でいられるほど私は強くない。悔しくて大泣きに泣いた。砂村主任は、自分がしたことの意味がよくわかっていないと感じた。

同じ日に、中山tが担当するヨシオくんに入った。中山tは個別課題を準備しているのか私に聞いてきたので、風船を彼の手に触らせながら膨らませたりしぼませたりする遊びを考えていると答えた。
私の机の上に、ヨシオくんのプリント(学校からのお知らせ類)があったので、中山tに返した。中山tは「今日はあなたがヨシオくんに入るんでしょ」と言ったので「プリントはケース担当の方でやってください(やるのが普通ですよね)」と答えた。私がプリントを持っていき、仮にあとで過不足が出て「渡した」「渡していない」という話が出ても、私は責任の持ちようがない。当然、ケース担当がやるべきことであり、私は常識の範囲内のことを申し上げたに過ぎないが、中山tにはものすごく嫌な顔をされた。数日前、中山tは周囲の人に、自分が気づかないうちにおかしなことをするかもしれないから、そういうときは遠慮なく言ってほしいと呼びかけていた。私は中山tのおっしゃる通りにしただけなのだが、逆恨みを買っただけのようだった。
先週は、「ヨシオくんの連絡帳に挟んでください」というメモ書きと連絡帳用紙数枚が、机の上に置かれていた。何か特別な理由があって自分ができないから、ヨシオくんの連絡帳にはさんでほしい、と依頼してきた、ということなのかと思ったら、単に私がその日ヨシオくんに入るからという、それだけの理由だったことが判明した。人にものを頼むのに、いきなりなんの話もないまま机の上にポンと置き、「すみません」でも「お願いします」でも「ありがとう」でもない。すごい仕事をなさると、呆れてものが言えなかった。ケース担当が連絡帳の用紙やお知らせ類を管理し、責任をもつのが常識のはず。ケース担当以外の方が授業に入られ、連絡帳を記入するのに用紙が切れていて記入できないとしたら、それはその教員に迷惑をかけることになる。ケース担当の恥だ。

5月2日(水)午前、まだまだ十分に理解できていないタケヨさんの授業に入る自信がなく、またタケヨさんの担当の中山tが苦手で、「先生とお友だち」を聞かされるのも苦痛で、昨日のことが尾を引いていて、午前3時間休暇を取った。取ってよかったと思った。

5月4日(金)連休二日目。毎年参加している「自由と生存のメーデー」の行動に、どうしても身体が言うことを聞かずに行けない。気持ちは行きたいのだが、身体がついてこない。蒲団の中で昼過ぎまで動けない。休日の間、うつの薬を勝手にやめていたので、それがよくなかったのでは、と感じた。5月1日に自分が砂村主任の言葉に大パニックを起こしてしまったのも、遠因は3連休の間服薬をしていなかったことにあるのでは……?また、5月1日の録音を文字に起こす作業を2晩かけて行ったが、正直きつかった。とりあえず、医師の指導どおり、服薬はきちんとしようと反省。今日は無理をせず、ゆっくり休もうと思う。

5月8日(火)小学部部会。集団授業のメイン決めで、成り行き上、中山tの入っている授業のメインをやらなければならない状態になった。毎日の授業についても、ほぼ毎日中山tとおなじ時間帯に私も入る形になっていて、心臓がばくばくしてきた。恐怖と不安でパニック状態になり、「先生とお友だち、という歌は歌えない、子どもにウソは教えたくない!」と叫んで大泣きに泣いた。今までいろいろ言われても反論できないまま我慢していたことがプツッと切れたような感じで、ささいなことを次々に思い出し、悔しさと恐怖で涙が止まらなかった。

5月9日(水)自己申告。朝から不安で、無理に気持ちを抑えながら生徒に向かった。午前中はなんとかしのげたが、授業が終わって、病棟内で連絡帳を書く段になり、原tと話しているうちに気持ちにさざ波が立ち、顔がこわばり、話す声が震えた。病棟の方に不審に思われやしないかと不安を感じた(申し訳ないと思う)。
自己申告では、メンタル面での通院歴の有無を聞かれたので即座に「ありません」と回答した。
本当に、川上副校長は、私を「メンヘル」系に仕立て上げるストーリーを作りたくて仕方がないようだ。
中山tがのべつまくなしに周囲の人にあれこれと話をするのが耳障りで、かなり苦痛。
帰りに更衣室で、浦tといっしょになり、この間のことを聞かれる。揺れる気持ちを抑えながら自分の気持ちを話すが、抑えきれず、とりとめもなくなり、申し訳ない気持ちと、伝えられないもどかしさを感じた。中でも、朝鮮の歌を朝鮮語で聞かせたい、という私の話に対し「まずは日本語じゃないと……」という答えで、想定内とはいえ、本当にこの人、私の真意は永遠に理解できないと感じた。本当に悪い人ではないし、心配してくださってありがたいと思うのだが、自分が何を言っているのか、それが多くの人(在日+「障害」児」)を傷つけるということに、全く気づかないというか、ものすごく傲慢な言い方だ(私は「日本人って、そんなに偉いんですか?」と言ってしまいました)、って気づかないというか、そのセンスはついていけないと思う。
ゆえに、私はあんたがどう思おうと、一切妥協をする気は毛頭ない、と言うにとどめた。
要するに、相互不可侵であれば、それでよいのだ。
差別するのは勝手だが、それを私に押し付けるな、ということ。
「先生とおともだち」なんて、差別的な歌を平気で歌えるセンスに、私は心の底で嘲笑していればそれで済むのだ。生徒には悪いが、同情するしか今の私には術が無い。
こんな歌、私に押し付けられたら、たまらない。

5月10日(木)病棟内授業での「はじまりの会」で、私が歌にあわせて三板を叩いたら、浦tから「音が大きい」と言われた。即座に「離任式で太鼓を叩いて大きな声でメッセージをおっしゃった方がいらっしゃいましたが、その方はよくて、私はいけないんですか?」と反論した。気持ちが揺れて、声が震え、病棟の方に心配をかけてしまうのでは、と不安を覚えた。結局、三板は私が「強行突破」する形で叩かせていただいた。

5月11日(金)出勤して、予定を確認した。「母の日」の文字を見て、カズオくんに作った母の日プレゼントのことを思い出した。カズオくんの担当は私から原tになったのだが、プレゼントについて、数日前に中山tから「作り方が違う」など、けなされる発言を受けていたことを思い出し、原tに不出来であり、作り方が違うと言われたがそのままカズオくんの連絡帳にはさんである、作り直した方がいいだろうか……と話しているうちに、中山tからやられた色々なことが一度に頭に浮かび、涙がぼろぼろ出て、大泣きに泣いた。ずっと自分の口から中山tのことが怖いと思っていると言えなかったが、この日初めて「顔も見たくない、声も聞きたくない!」と叫んだ。病棟の方にも心配をかけてしまった。
午前の授業は休ませていただいた。
午後に、別件で川上副校長が来て、安川主任から話を聞く時間を設けると言われた。私は5月1日と自己申告面接で、カニューレ事故に直接関係の無い部分で人格否定される発言(心療内科通院歴を聞かれるなど)をされていて、非常に深く傷ついていた。川上副校長はずかずかと職員室に入ってきたので、私は驚きパニックになり、大声を出しそうになった。すぐ隣で授業があり、生徒がたくさんいた(こういう環境で、気持ちの休まることが全くない)ので、とっさにハンカチを口にくわえ、思い切り噛んで自分の声を押し殺した。川上副校長と話もしたくないし、声も聞きたくない、それでも授業に参加している生徒を傷つけたくないので、放心状態で別室に行き、川上副校長の尋問を受けた。
私は、事故のこと以外にやましいことはしていないこと、心療内科通院歴を聞くことは川上副校長自身が心の病に対して差別意識を持っている動かぬ証拠であり、私に対する人格攻撃である旨を伝えた。どうせ、中山tとタッグを組んで、私に圧力をかけてくるに決まっているのだから、「一寸の虫にも五分の魂があるのだ」「私はあなたに生殺与奪の権を握られた決定的に弱い立場だ」「権力は蜜のように甘いのだ、さぞかしいい気分だろう」「しかし、権力を握った上でどう振舞うかで、あなたの人格が問われるのだ。弱い立場の人間は何も言わないが、黙ってそれを見ているのだ」等、半ばやけくそで発言させていただいた。
中山tはこの日、職員室にはほとんど現れなかった。私がパニックしていたので、別室にいたのだろうと思う。私は、中山tの机(真向かい!)と自分の机の間に、大きな板ダンボールで応急の仕切りを作った。これ以上耐えられないから。机の配置は、安川主任と中山tが交代する形で変わる予定。私は被害者なのに、安川主任に「すみません」という気持ちにさせられる。本当におかしいと感じる。

5月14日(月)朝、中山tを私の向かいから離すべく座席の移動が行われた。私自身、被害者なのに周囲の人に「すみません」と言わざるを得ないような状況が納得いかず、段ボールついたてに「●●(私)は中山教諭によるパワハラの被害者です」と赤マジックで大書した紙を貼り付けておいた。10時前に校長が現れ、職員室で砂村主任と話をしていた。そのあと、私と児童の個別授業のようすを数回観察に来ていた。気持ち悪いと思った。
授業後、校長に、赤マジックの文字のことを聞かれたので、中山tが朝からずっと間断なくしゃべり、うるさくて耐え難いのだが、相手をしている人に気を使わざるを得ず何も言えないできたこと、気持ちが揺れたときに、気持ちを整理できる場所がないことを話した。校長からは、本校に移ることを提案されたが、私はそれを全く望んでいない(第一、なぜ被害者が移らなければならないのか?)ので、強く拒否した。校長からは「大人の対応をしつつ、なんとか一緒にやっていかないと」的なことを言われたので、私は「大人の対応をしつつ、心の中で中山tを軽蔑し、唾棄すればそれで済むことです」と答えた。川上副校長から心療内科通院歴の有無を聞かれて、非常にいやな思いをしたこと、こういう質問をすること自体、心の病に対して差別意識がある証拠だ、と申し上げた。
この日、中山tは私のいる間、職員室にはいなかった。児童指導中も、別の病室だったので、ほとんど顔を合わせることもなかった。要領のいい彼女のことなので、今後の報復が心配。
5月16日(水)朝、教材研究をしていると、校長から私に電話があり、来週月曜日9時に本校に来るように言われた。具体的にどういう用件・中身なのか聞いたがただ「話を聞きたい」というだけで、被害者の自分が不利益をこうむるような恐怖を感じ、安川主任・砂村主任に「校長に来いと言われたが行きたくない。顔も見たくない、声も聞きたくない、接触したくない」「月曜日は行けない、と伝えてほしい」と涙ながらに頼んだ。午前の授業は、タケヨさんが発熱して「空き時間」となり、別室で休憩をさせてもらった。午後の授業は気力を振り絞って行った。授業が終わると、しばらく放心状態だった。
5月18日(金) 授業終了後、砂村主任の手をわずらわせる形で、本校に電話をしていただき、校長に「月曜日には行けない、せめて、もう少し自分の心の傷がふさがるまで、待っていただけないか」と哀願したが、校長は「本校に来られないなら、自分が分教室に行って話を聞く」の一点張り。「傷つく」という日本語の通じない人は、人を傷つけることも平気なのだ、と思う。
電話の後、しばらく涙が止まらず、砂村主任、安川主任に迷惑をかける形になった。
退勤して、近くの店でラーメンを食べたが、半分も食べられず、残ったラーメンをぼんやり見つめて、30分ぐらいは座っていただろうか。
5月19日(土)心療内科に通院。中山tとの葛藤などについて話す。「あなたの方が過敏に反応している」「人と争うようなことは避けるように」と言われ、薬はそのままで、2週間後に予約を入れた。
5月に入って調子を大きく崩し、パニックを繰り返すようになったのは、連休中に油断して服薬を忘れることが数回あったことも関係しているかもしれない。きちんと服薬しようと思う。
そのあと、唐木田まで遠征して、気管切開していて、函館で自立生活をしている人の話を聞きに行ったが、まるで集中できず、睡魔まで襲ってくる状態で、彼女に申し訳ない思いだった。無理をしている自分に気づいた。行くだけで精一杯の状態だったのだ。
5月21日(月)校長と大下副校長が分教室に来る。結論はすでに決まっていて、私を本校に移すということで、荷物の全面撤収を命ぜられた。「パワハラと受け取られてもかまいません」「こういう状態で仕事をしていて、みんな楽しいと感じると思いますか?(それについては、私が回答することではないと応えた)」など、恫喝を交えて、有無を言わさず撤収作業が進められた。校長は始終、私をにらみつけていた。気持ち悪くなるのをこらえて、撤収をした。
この日は午後年休をとり、以後3日間、短期介護休暇で休んだ。
5月25日(金)本校に出勤。父の病状が悪化して、長期の介護休暇を申請。
この日は介護休暇の書類作成、机上整理、パソコン設置、ロッカー整理を行った。南村主幹が校内全体(小中高)を案内、ひととおりの児童生徒の授業の様子を見た。そのあと、介護職員に渡す「指示書」等についての話をうかがった。私の机は管理職のすぐ近くで、これから監視を受けながら仕事をすることになるのか、と思うと気が重かった。今後のことについて話があるだろう、と、整理をひととおり終え、教科書類を読みながら待機していたが、この日は特にそういう話は出なかった。朝9時半ごろ、校長が私の姿を確認しに来た。私の姿をにらみつけて、短時間で引き上げていった。