異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

十月の冷たい風が、ヴェダー亭の軒先を吹き抜けていった。

 店内では今日も豚骨スープの湯気が立ちのぼり、お客様の笑い声が響いている。

 お昼の営業を終え、私は帳簿を開いて深いため息をついた。

「はぁ……」

 そこへ、一人の男性が扉を叩いた。

 灰色の外套に身を包み、革鞄を肩から提げている。

「ヴェダー亭で間違いありませんか?」

「はい」

 男性は懐から羊皮紙を取り出し、私へ差し出した。

「町役場、徴税係です」

「えっ?」

 嫌な予感が胸をよぎる。

「営業開始以来の納税期限を過ぎておりますので、本日ご請求に参りました」

「納税……?」

 私は羊皮紙を受け取った。

 そこには細かな数字がびっしりと並んでいる。

 営業税。
 建物使用税。
 商業登録税。
 町道維持税。
 
思わず目を見開いた。

「こんなに……」

「商売を始められた方は皆さん納めております」

 徴税係は事務的な口調で説明を続ける。

「期限内でしたら分割も可能でしたが、期限を過ぎておりますので延滞分も加算されています」

 頭の中が真っ白になった。

 この世界へ来てから、料理のことばかり考えていた。

 店を開き、お客様を迎え、畑を耕し、新しい料理を考え続ける毎日。

 税金のことなど、一度も頭になかった。

「申し訳ありません……知りませんでした」

「お気持ちは分かります。しかし規則ですので」

 男性は一礼し、静かに店を後にした。

 残された羊皮紙を見つめる。

 私はゆっくり椅子へ腰を下ろした。

「……どうしよう」

 数字を何度見直しても変わらない。

 ヴェダー亭は繁盛している。

 豚骨ラーメンを食べるために旅人が何日もトーカチーへ滞在するようになり、市場も以前より賑わっている。

 宿屋の主人も「最近は部屋が足りないくらいだ」と笑っていた。

 町全体は確かに豊かになっていた。

 けれど。

 ヴェダー亭の経営は決して楽ではない。

 売り上げのほとんどは、小麦や豚肉、野菜、調味料の仕入れへ消えていく。

 水車の建設にも協力し、新しい料理の研究にもお金を使った。

 赤字ではない。

 それでも手元へ残るお金は決して多くなかった。

 この税額は、とても払える金額ではない。

「どうしよう……」

 帳簿へ額を押し当てる。

 その時だった。

 カラン。

 扉の鐘が静かに鳴った。

「こんにちは、昼営業は終わりですか?」

 聞き慣れた穏やかな声だった。

「レオンさん」

 金色の髪を揺らしながら、レオンが店へ入ってくる。

 私の暗い表情を見るなり、小さく首を傾げた。

「今日は元気がありませんね」

「えっ? あ、いえ……」

 慌てて笑顔を作る。

「ど、どうぞお入りください。ご注文は?」

 レオンは木製のメニューを手に取り、にこりと微笑んだ。

「いももちをください」

「かしこまりました」

 私は厨房へ向かう。

「いただきます」

 茹でたジャガイモを潰し、コーンスターチを混ぜる。

 丸く形を整え、熱した鉄板へ並べた。

 ジュウッ。

 香ばしい音が響く。

 けれど今日は、手元へ意識が向かない。

 頭の中は、あの税額ばかりだった。

「税金……」

 もし払えなければ。

 店はどうなるのだろう。

 営業停止?

 差し押さえ?

 せっかくここまで育てたヴェダー亭が――。

「あっ!」

 熱したフライパンへ、うっかり左手が触れた。

「熱っ!」

 思わず手を引っ込める。

 指先が赤くなり、じんじんと痛む。

「爽子さん!」

 レオンがすぐに立ち上がった。

「大丈夫ですか?」

「す、すみません……」

 慌てて水へ手を浸す。

 レオンは近くの布を水で濡らし、そっと私の手へ巻いた。

「無理をしていますね」

「そんなこと……」

「料理中に火傷をする爽子さんは初めて見ました」

 優しい声だった。

「何かありましたか?」

 私は少し迷った。

 けれど、胸の中へ溜め込んでいても仕方がない。

 羊皮紙をレオンへ差し出した。

「税金……なんです」

 レオンは静かに目を通す。

 読み終えると、小さく息を吐いた。

「なるほど」

「私、この町の税の仕組みを知らなくて……」

 俯く。

「払える金額じゃないんです」

 レオンはしばらく考え込んでいた。

 やがて顔を上げ、穏やかに微笑む。

「それは大変ですね」

「はい……」

「でしたら」

 その碧い瞳が真っ直ぐ私を見る。

「父――公爵へ直談判してみましょう」

「えっ?」

 思わず顔を上げる。

「ヴェダー亭が町へ与えた恩恵は計り知れません」

 レオンは静かに続ける。

「旅人が増え、宿屋も市場も潤いました。税収そのものも以前より増えているはずです」

「……」

「事情を説明し、税の減免、あるいは町との折半ができないか相談してみます」

「公爵様に……ですか?」

「ええ」

 レオンは力強く頷いた。

「困っている領民の声を届けるのも、私の役目ですから」

 その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた胸の奥が少しだけ軽くなった。

 私は赤くなった指先をそっと握りしめ、小さく頭を下げる。

「ありがとうございます、レオンさん」

 レオンは照れたように笑いながら言った。

「その代わり」

「はい?」

「いももちが冷めてしまいます」

「あっ!」

 私は慌てて鉄板へ向き直り、こんがりと焼き色のついたいももちをひっくり返した。

 ジュウッという心地よい音が店内へ響き、少しだけ重苦しかった空気が、いつものヴェダー亭らしい温かな空気へ戻っていった。