異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

九月中旬――。

 十勝平野は黄金色に色づき、実りの秋を迎えていた。

 町の大通りには色鮮やかな旗が風にはためき、教会の鐘が高らかに鳴り響く。

 年に一度の秋祭り。

 ヴェダー亭はお休み。

 朝から露店が立ち並び、焼きとうもろこしやソーセージの香ばしい匂いが辺り一面に漂っていた。

「すごい人ですね」

 私は麻のワンピースの裾を押さえながら、人混みを見渡した。

 隣ではテオが穏やかに微笑んでいる。

「毎年、この祭りだけは町中の人が集まりますから」

 今日は仕事も忘れて、一緒に祭りを見て回る約束をしていた。

 ヴェダーたちはシマエナガの羽根の中で留守番。

 チョボたちも鶏小屋で大人しくしている。

 久しぶりに二人きりだった。

 石畳を歩くたび、賑やかな笑い声が耳へ飛び込んでくる。

「爽子ちゃん!」

 焼き栗の露店のおじさんが大きく手を振った。

「こんにちは!」

「今日も仲がいいねぇ」

 ニヤリと笑う。

 私は思わず頬を赤くした。

「ち、違います」

「ははは!」

 隣の魚屋のおばさんまで笑い出す。

「テオさん、もっとしっかり手を引いてあげなきゃ駄目だよ」

「えっ……」

 テオまで耳を赤くして眼鏡を押し上げた。

「わ、私たちは、その……」

「はいはい、分かってる分かってる」

 露店の人たちは楽しそうに笑うばかりだった。

 私たちは顔を見合わせ、小さく苦笑するしかない。



◇◇◇



 祭りの広場を歩く。

 木彫りの熊。

 革細工。

 陶器。

 色鮮やかな織物。

 どの店も活気にあふれていた。

「このお皿、可愛いですね」

「窯じいの作品ですね」

 焼き物を眺めながら歩く。

 次は古道具屋。

 古びたランプや時計、真鍮の食器が所狭しと並んでいた。

「この時計、まだ動くのかな」

「修理すれば動くと思います」

 テオは一つひとつ丁寧に眺めていく。

 その真面目な横顔に思わず笑みがこぼれた。

 さらに歩くと、小さなアクセサリーの露店が目に入る。

 木箱いっぱいに並ぶ髪飾り。

 指輪。

 耳飾り。

 どれも素朴ながら美しかった。

「わぁ……」

 私は思わず立ち止まる。

 その中に、一つだけ目を奪われる髪飾りがあった。

 銀細工の土台に、小さな青い石が埋め込まれている。

 まるで澄み切った秋空を閉じ込めたような色だった。

「綺麗……」

 思わず手に取る。

 陽の光を浴びるたび、青い輝きが静かに揺れた。

「気に入ったのかい?」

 店主のおばあさんが微笑む。

「はい、とても」

「それは珍しい石なんだよ」

「珍しい?」

「ア・バーシリーの山でしか採れない青石さ」

 その一言だった。

 胸が、小さく痛んだ。

(ア・バーシリー……)

 熊ちゃん。

 今、その地を治めている人。

 元夫。

 楽しかったラーメン屋の日々。

 一緒に厨房へ立った毎日。

 忘れたはずの記憶が、青い石とともによみがえってくる。

「爽子さん?」

 隣でテオが心配そうに覗き込んだ。

「……あっ」

 私は慌てて笑顔を作る。

「綺麗な石だなって思って」

 テオは青い髪飾りを手に取り、しばらく眺めていた。

「確かに」

 小さく頷く。

「爽子さんによく似合いそうです」

「え?」

 私が驚いている間に、テオは店主へ向き直っていた。

「これをください」

「はいよ」

「えっ、ちょっと!」

 止める間もなく銀貨が渡される。

 包まれた髪飾りが、私の手の中へそっと置かれた。

「これは……」

「いつもお世話になっていますから」

 照れくさそうに眼鏡を押し上げる。

「受け取っていただけると嬉しいです」

 私は包みを両手で握り締めた。

「ありがとうございます……」

 本当なら。

 今、言わなければ。

 こんな優しい人だからこそ。

「テオさん」

「はい」

 祭囃子が遠くから聞こえてくる。

 風が白樺の葉を揺らした。

「私……」

 喉まで込み上げた言葉。

 離婚歴があること。

 熊ちゃんという人がいたこと。

 その熊ちゃんが、ア・バーシリー辺境伯として今も生きていること。

 全部。

 全部、話さなければ。

 そう思うのに。

 その時、秋風が広場を吹き抜け、祭りの太鼓がドン、と大きく鳴り響いた。

 私の小さな声は、その音にかき消される。

「何か言いましたか?」

 テオが首を傾げる。

 私は青い石の髪飾りを胸へ抱き寄せ、小さく首を振った。

「……ううん」

 笑顔を作る。

「なんでもありません」

 青く澄んだ石は、秋の陽射しを受けて静かに輝いていた。

 その色は、遠く離れたア・バーシリーの青い山々を思い出させるようで、私の胸には、まだ誰にも話せない秘密だけが重く残っていた。