異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

店へ戻ると、ヴェダーたちが一斉に葉っぱを揺らして駆け寄ってきた。

「ヴェダー!」

「ただいま」

 私は籠をキッチンカウンターへ置く。

 豚ヒレ肉、小麦粉。

 そして昨日焼いたパン。

「今日は新しい料理を作るよ」

「ヴェダー!」

 昨日のパンはすっかり硬くなっていた。
 
 おろし金でゆっくり削る。

 シャッ、シャッ、シャッ。

 香ばしいパンの香りとともに、細かなパン粉が木のボウルへふんわりと積もっていく。

「これで衣は大丈夫」

 チョボの鶏小屋へ向かう。

「チョボ、こんにちは」

「コケッ」

 雌鶏が餌を啄みながら寄ってくる。

 藁の上には、まだ温かな卵が三つ並んでいた。

「ありがとう」

 大事そうにエプロンのポケットへしまい、店へ戻る。

 豚ヒレ肉をまな板へ置き、包丁で均等な厚さに切り分ける。

 包丁の背で軽く叩くと、肉が少しずつ柔らかくなっていく。

 岩塩と胡椒を軽く振る。

「さて」

 小麦粉。

 卵。

 そしてコーンスターチ。

 そこまで準備した時だった。

 コンコン。

 控えめなノックが響いた。

「はい」

 扉を開けると、そこにはテオが立っていた。

 肩には大きな麻袋を担いでいる。

「こんにちは」

「テオさん!」

 彼は少し照れたように麻袋を下ろした。

「水車で挽いた最初のコーンスターチです」

「もう出来たんですか!」

「試作品ですが」

 麻袋の口を開く。

 中には雪のように白いコーンスターチがぎっしり詰まっていた。

 指で摘まむと、さらさらと零れ落ちる。

「すごい……」

 私は思わず見惚れた。

「ありがとうございます」

「いえ」

 テオは照れくさそうに眼鏡を押し上げた。

「一番に爽子さんへ届けようと思いまして」

 その一言に胸が少し温かくなる。

「ちょうど良かったです」

「?」

「今から新しい料理を作るところなんです」

「またですか」

 テオは苦笑した。

「今日は何を?」

「トンカツです」

「……初めて聞く名前です」

「ふふっ」

 私はエプロンを結び直した。

「手伝っていただけますか?」

「もちろんです」


◇◇◇


 豚肉へ小麦粉をまぶす。

 次に溶き卵をくぐらせる。

 最後にパン粉をぎゅっと押し付ける。

「なるほど」

 テオは興味深そうに眺めていた。

「この順番に意味が?」

「あります」

 私は笑う。

「こうすると衣が剥がれにくいんです」

「勉強になります」

 ラードをたっぷり入れた鍋が温まる。

 菜箸を入れると、小さな泡がふわりと浮かんだ。

「ちょうどいいかな」

 肉をゆっくりと油へ沈める。

 ジュワァァァ……。

 店いっぱいに心地よい音が響いた。

 ヴェダーたちは鍋の周りをぐるぐる回る。

「ヴェダー!」

「熱いから近付いちゃ駄目」

 狐色になったところで裏返す。

 香ばしい香りが店中へ広がった。

「これは……」

 テオが思わず唾を飲み込む。

「いい匂いですね」

「もう少しです」

 衣がきつね色になったところで取り出し、網の上で休ませる。
 
包丁で切る。

 サクッ。

 軽やかな音とともに断面から肉汁が溢れた。

「成功」



◇◇◇



 二人分の皿へ盛り付ける。

「いただきます」

 千切りキャベツ。

 トマト。

 そして揚げたてのトンカツ。

 木苺のワインもグラスへ注いだ。

「いただきます」

「いただきます」

 テオは恐る恐るフォークを刺す。

 衣が心地よく砕けた。

 一口。

 サクッ。

 そのあと、しっとり柔らかな豚肉が口いっぱいに広がる。

「……これは」

 目を丸くした。

「衣が軽い」

「コーンスターチを少し混ぜたんです」

「なるほど……」

 何度も頷いている。

「肉も柔らかい」

「美味しいですか?」

「はい」

 その一言だけだったが、とても嬉しそうだった。

 私も一口食べる。

 サクサク。

 豚肉は驚くほど柔らかい。

「うん、美味しい」

 二人で顔を見合わせ、自然と笑ってしまう。

 どこか照れくさい。

 トマトに生姜、話そうと思えば話題はいくらでもあるのに、不思議なくらい静かな時間だった。

 窓の外では白樺が風に揺れ、ヴェダーたちはパン粉の欠片を大事そうに抱えて食べている。

 木苺のワインを一口。

 もう一口。

 テオの頬がほんのり赤くなってきた。

「さわ......さわ......爽......子さん」

「はい?」

 初めての名前呼びに私の胸はドキドキと音を立て、彼はグラスを置いた。

 何かを決心したように私を見る。

「私は……」

 そこで言葉が止まる。

 しばらく黙ったあと、小さく笑って首を振った。

「……いえ」

「?」

「今日は、この料理をご馳走になったお礼だけ伝えます」

 照れ隠しのようにワインを飲み干した。

「とても、美味しかったです」

 私は少しだけ首を傾げた。

「何か言いかけました?」

 テオは耳まで赤くしながら眼鏡を押し上げる。

「……また今度にします」

 その横顔を見ていると、私まで頬が熱くなってしまう。

 店の中には、揚げたてのトンカツの香りと、少しだけ甘酸っぱい沈黙が、夕暮れの光と一緒に静かに流れていた。