異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

それから三日後――。
 
 朝の仕込みを終え、ヴェダー亭の暖簾を掛けようとしていた時だった。

 コンコン。

 控えめなノックが響く。

「はい、どうぞ」

 扉を開けると、そこにはテオが立っていた。

 いつもの麻袋ではなく、小さな木箱を両手で大事そうに抱えている。

 銀縁眼鏡の奥の瞳が、どこか嬉しそうだった。

「おはようございます」

「おはようございます、テオさん」

 私は木箱へ目を向ける。

「それは?」

 テオは微笑みながら蓋を開いた。

 ふわり。

 爽やかで鼻に抜ける香りが漂う。

「生姜です」

「えっ!」

 思わず声が大きくなった。

 木箱の中には、土がまだついたままの立派な生姜が三つ並んでいた。

 薄い桃色を帯びた芽が、可愛らしく顔を覗かせている。

「薬草園の管理人へ事情を話しました」

「譲ってくださったんですか?」

「ええ」

 テオは少し照れたように笑う。

「料理の研究に使うなら、と」

「良かったぁ……」

 私は両手で木箱を抱えた。

 生姜の香りが胸いっぱいに広がる。

 懐かしい。

 この香りだけで、豚丼も生姜焼きも思い浮かぶ。

「ありがとうございます!」

「いえ」

 テオは軽く首を振った。

「植えるところまで、お手伝いします」

 ◇◇◇

 店の裏庭では、ヴェダーたちが朝から土遊びをしていた。

「ヴェダー!」

 私たちを見るなり、一斉に葉っぱを揺らしながら駆け寄ってくる。

「今日は生姜を植えるよ」

「ヴェダー!」

 八匹は大喜びでスコップを抱え始めた。

 シマエナガも白樺の枝から「ジュリッ」と鳴き、こちらを見守っている。

 テオは畑を見渡しながら頷いた。

「ここなら午後には木陰になります」

「ちょうど白樺が日差しを遮ってくれますね」

「ええ」

 二人で鍬を入れる。

 柔らかな土がふわりと返る。

 茶色のヴェダーは得意げにペレットを一粒運んできた。

「ありがとう」

 私は少しだけ土へ混ぜ込む。

 今では立派な肥料だ。

 テオもその様子を見て微笑んだ。

「この肥料、本当に優秀ですね」

「ヴェダーたちのおかげです」

「ヴェダー!」

 胸を張る姿が何とも誇らしい。

 テオは生姜を一つ手に取り、芽の向きを確認した。

「芽を上へ向けて植えます」

「なるほど」

 私も隣へしゃがみ込む。

 二人で穴を掘り、生姜をそっと寝かせた。

「これくらいの深さでしょうか」

「もう少しだけ土を……」

 同時に手を伸ばした。

「あっ」

 指先が触れる。

 土で少し汚れた指先。

 ほんの一瞬だったのに、不思議と温かさが伝わった。

 二人とも同時に手を引っ込める。

「す、すみません」

「いえ!」

 私も少し頬が熱くなる。

 テオは咳払いを一つすると、照れ隠しのように土をかぶせ始めた。

「……これで大丈夫です」

「はい」

 私も笑いながら土を優しく押さえる。

 ヴェダーたちはその様子を真似して、小さな手で一生懸命土をぽんぽん叩いていた。

「ヴェダー!」

 最後に井戸の水を汲む。

「ヒィ……」

 井戸の精霊が相変わらず小さく悲鳴を上げる。

「ごめんね、今日もお水をもらうね」

 桶いっぱいの水を、生姜の根元へ静かに流した。

 黒い土がゆっくりと水を吸い込んでいく。

 私は植え終えた畝を眺め、大きく息を吐いた。

「大きく育ってね」

 テオも隣へ並ぶ。

「順調なら……」

 空を見上げながら言った。

「収穫は秋口ですね」

「秋かぁ」

 その頃には、店ももっと賑やかになっているだろう。

 豚丼も。

 生姜焼きも。

 温かい生姜入りのスープも。

 きっと作れる。

「楽しみですね」

「ええ」

 私は笑顔で頷いた。

 テオも柔らかく微笑み返す。

 夏の風が白樺を揺らし、生姜を植えたばかりの畑を優しく撫でていった。

 その足元では、ヴェダーたちが小さなジョウロで何度も水を撒いている。

「ヴェダー!」

「そんなにあげたら、生姜もびっくりしちゃうよ」

 私が笑うと、ヴェダーたちは「あっ」というように葉っぱを揺らし、慌ててジョウロを置いた。

 それを見たテオが小さく吹き出す。

「ふふっ」

「可愛いでしょう?」

「ええ」

 彼はヴェダーたちを見つめながら頷いた。

「この畑も、この店も……本当に温かい場所ですね」

 その言葉が嬉しくて、私は生姜を植えた畝をもう一度見つめた。

 秋になれば、この小さな芽は立派な生姜へ育つ。

 その日を思い描きながら、私たちは穏やかな笑顔を交わした。