異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

十勝地方といえば、やっぱり豚丼だ。

 炭火でこんがりと焼き上げた豚肩ロース。

 舌にコッテリと絡みつく醤油と砂糖の甘辛いタレ。

 そして、あとから鼻へ抜ける生姜の爽やかな辛味。

 熱々の白いご飯に、そのタレがじんわりと染み込み、箸が止まらなくなる。

「食べたいなぁ……」

 私はカウンターに頬杖をつきながら、小さく呟いた。

 ヴェダーたちは葉っぱを揺らし、不思議そうに私を見上げる。

「ヴェダー?」

「豚丼っていう料理なの」

「ヴェダー!」

 分かったような、分からないような返事だった。

 私は思わず笑ってしまう。

 豚肉はある。

 醤油もある。

 砂糖も手に入る。

 けれど、一つだけ決定的に足りないものがあった。

「生姜よねぇ……」

 市場で何度か見かけたことはある。

 小さな木箱へ丁寧に並べられ、鍵付きの硝子ケースへ収められていた。

 値札を見ると、金貨一枚。

 思わず二度見したほど高価だった。

 店主に理由を尋ねると、苦笑いしながら教えてくれた。

「生姜は薬草だからね」

 風邪薬。

 胃薬。

 身体を温める万能薬。

 この異世界では、料理ではなく医薬品として扱われているらしい。

「なるほどね……」

 だから誰も料理には使わない。

 勿体ない。

 あんなに美味しいのに。

「だったら……」

 私は立ち上がった。

「育てればいいんだ」

 その一言に、ヴェダーたちが一斉に葉っぱを揺らした。

「ヴェダー!」

◇◇◇

 翌日。

 私は朝の仕込みを終えると、ギルドへ向かった。

 石造りの建物は今日も静かで、受付ではテオが帳簿を開いていた。

「あっ、テオさん」

「上田さん」

 顔を上げた彼は穏やかに微笑む。

「今日はどうされましたか?」

「相談があります」

「はい」

 私はカウンターへ身を乗り出した。

「生姜って育てられますか?」

 その瞬間。

 テオの手が止まった。

「……生姜、ですか?」

「はい」

「どうしてまた」

「豚丼を作りたいんです」

「豚丼?」

 もちろん、この世界にはない料理だ。

「豚肉をご飯に乗せる料理なんです」

「なるほど」

 テオは頷いた。

「それに生姜が必要なんですね」

「はい」

「確かに、生姜は香りも良いですから」

 彼は顎へ手を当てて考え始めた。

「ただ……」

「難しいですか?」

「薬草園で少量栽培されていますが、食用として育てる農家は聞いたことがありません」

「やっぱり」

 私は少し肩を落とした。

 するとテオは小さく笑った。

「ですが、不可能ではありません」

「本当ですか?」

「ええ」

 彼は本棚から一冊の分厚い植物図鑑を取り出した。

 ページをめくる。

「生姜は暖かい土地を好みます」

「十勝でも育ちますか?」

「夏なら十分可能でしょう」

 ページを指差す。

「ただし、水はけの良い土壌が必要です」

「なるほど」

 私はメモ帳を取り出した。

「半日陰を好みますので、白樺の近くがいいかもしれません」

「うちの裏庭ならちょうど良さそう」

 テオも頷く。

「種生姜さえ手に入れば試す価値はあります」

「種生姜?」

「植え付け用の生姜です」

「市場にありますか?」

「一般には流通していませんね」

「そうですよねぇ」

 少し残念そうにすると、テオは何か思い付いたように顔を上げた。

「あ」

「どうしました?」

「薬草園です」

「薬草園?」

「ギルドが管理しています」

 彼は立ち上がる。

「責任者へ相談してみます」

「いいんですか?」

「ええ」

 少しだけ口元を緩めた。

「どうせ上田さんのことです」

「え?」

「生姜を育てたら、それだけでは終わりませんよね」

 私は照れ笑いした。

「豚丼だけじゃなく、生姜焼きも作りたいし」

「やっぱり」

「紅生姜も欲しいし」

「まだあるんですか」

「餃子にも使えます」

 テオは思わず額へ手を当てた。

「……また料理が増えるんですね」

「いっぱい増えますよ」

 私が笑うと、テオもつられて笑った。

「それならなおさら、生姜を増やさなければなりませんね」

「はい!」

 窓の外では、夏風が白樺を揺らしている。

 庭ではヴェダーたちが今日も葉っぱを揺らしながら水やりをしていた。

 豚丼。

 生姜焼き。

 餃子。

 頭の中には、次々と新しい料理が浮かんでくる。

 それを見透かしたように、テオが苦笑した。

「上田さん」

「はい?」

「あなたの頭の中には、まだ私たちの知らない料理が何百種類もあるのでしょうね」

 私は少し考えてから、にっこりと笑った。

「ええ。だから、一つずつ作っていきましょう」

 テオは静かに頷いた。

「では、その第一歩は生姜ですね」

 二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。