異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

一つ悩みがある。

 調理中に出た野菜クズは、寸胴鍋で煮込めば新しいスープになる。

 チャーシューを煮た煮汁も継ぎ足して使える。

 無駄になるものは、ほとんどない。

 日々のゴミは一週間に二度、回収業のおじさんが荷馬車に積んで運んで行ってくれる。

 けれど。

 残飯と、お客様が残したスープの始末だけは頭を悩ませていた。

 食べ残しは家畜に与えるわけにもいかない。

 ましてや、お客様が口を付けたものだ。

 そして残った豚骨スープ。

 私は何も考えず、キッチンの排水口へ流していた。

 でも。

「この脂が浮いたスープはどこへ行く?」

 蛇口から水を流しながら、ぽつりと呟く。

「……やっぱり川、だよね」

 トーカチーには十勝平野を貫く十勝川が流れている。

 澄み切った水。

 魚が泳ぎ、子どもたちが遊ぶ美しい川だ。

 そこへ毎日少しずつとはいえ、脂の浮いたスープを流していると思うと胸が重くなった。

「残飯とスープは畑へ埋めればいいんじゃない?」

 そう思ってテオへ相談したら。

『駄目です!』

 珍しく大きな声だった。

『残飯やスープから塩分が染み出して、野菜が育たない土壌になります!』

『あっ……』

『豚骨スープには塩も脂も入っていますから!』

 全力で止められてしまった。

「困ったなぁ……」

 今日もお客様が残したスープを丼から排水口へ流す。

 白いスープが渦を巻き、見えなくなっていく。

 胸がチクリと痛んだ。

 料理人として。

 食べ物を粗末にしているようで、どうしても慣れなかった。


 ◇◇◇


 朝。

 眠い目を擦りながら階段を降りる。

 ぎしっ。

 木の階段が小さく鳴った。

「ジュリ……」

 その音でシマエナガが目を覚ます。

 ふわふわの羽を膨らませ、黒い瞳をぱちくりと瞬かせた。

「おはよう。今日もいい天気になりそうね」

「ジュリッ」

 嬉しそうに鳴く。

 羽の中がもぞもぞと動いた。

 ひょこっ。

 一匹のヴェダーが顔を出す。

 葉っぱを揺らしながら、大きく背伸びをした。

「ヴェダー……」

「おはよう、早起きね」

「ヴェダー!」

 得意そうに胸を張る。

 どうやらシマエナガの羽毛の中は、よほど寝心地がいいらしい。

 見回すと、残りの六匹はまだ寄り添って夢の中だった。

「みんな、よく寝てる」

 その寝顔に笑みを浮かべた時だった。

 ゴソゴソ。

 厨房の方から物音が聞こえた。

「ね、ネズミ?」

 この世界にもネズミはいる。

 食材をかじられたら大変だ。

 私は足音を立てないよう、そっと椅子を避けながら厨房へ向かう。

 物音は止まらない。

 ポリポリ。

 ジュルジュル。

 何かを齧る音と、啜る音。

「まさか……」

 息を潜め、そっと厨房の奥を覗き込む。

「……え?」

 そこにいたのはネズミではなかった。

 毬藻のような丸い体。

 短い手足。

 黒くつぶらな瞳。

 見覚えのあるシルエット。

 だけど。

 頭の葉っぱも。

 体も。

 まるで秋に落ちた枯葉のような茶色だった。

 茶色いヴェダーが、大きな丼を両手で抱え、残っていたラーメンのスープを夢中で飲んでいる。

 ジュルッ。

 最後の一滴まで飲み干すと、小さな手で口元をぬぐった。

「ヴェダー」

 満足そうにお腹をぽんぽん叩く。

「……」

 私と目が合った。

 茶色いヴェダーはぴたりと動きを止める。

 黒い目がまん丸になる。

 私も固まる。

 しばらく見つめ合ったまま、時間だけが過ぎた。

 やがて。

「ヴェ、ヴェダー……」

 気まずそうに葉っぱをしゅんと垂らした。

「もしかして」

 私はゆっくり近付く。

「そのスープ、飲んでたの?」

「ヴェダー……」

 こくん。

 小さく頷く。

「美味しかった?」

「ヴェダー!」

 今度は勢いよく頷いた。

 葉っぱまでぶんぶん揺れている。

「えぇ……」

 私は空になった丼を見る。

 本当に一滴も残っていない。

 そこへ。

 ぱたぱたぱた。

 残りのヴェダーたちも眠そうな顔で厨房へ集まってきた。

「ヴェダー?」

 茶色いヴェダーを見る。

 そして空になった丼を見る。

 七匹は一斉に「あっ」という顔になった。

「ヴェダー!」

「ヴェダー!」

 どうやら、「おまえは誰だ!」と言っているらしい。

 茶色いヴェダーは照れくさそうに頭を掻いた。

「ヴェダー……」

 申し訳なさそうに俯く。

 その姿を見ていた私は、ふと昨日までの悩みを思い出した。

 残ったスープ。

 捨てるしかないと思っていた豚骨スープ。

 その時。

 茶色いヴェダーのお腹が、ほんのり温かな琥珀色にぽうっと光った。

「……あれ?」

 次の瞬間。

 茶色い葉っぱの先から、小さな若葉が一枚だけ、ぴょこんと芽吹き、ペレットのような粒がお尻からコロコロと転がり出た。