異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

ガタン。

 続いて、甲冑の擦れる音。

 店の入口へ、濃紺の制服を着た騎士が現れる。

 店内へ一歩入るなり、片膝をついた。

「レオンハルト様」

 その一言で、店内の空気が止まる。

「そろそろお戻りいただくお時間です」

 私は思わず目を瞬かせた。

「……様?」

 レオンは困ったように苦笑する。

「ああ……隠すつもりはなかったのですが」

 ゆっくりと私へ向き直る。

「改めまして」

 胸へ右手を当て、一礼する。

「トーカチー公爵家の、レオンハルトと申します」

「…………え?」

 頭の中が真っ白になる。

 公爵家の息子?

 市場で私を助けてくれた、あの優しい青年が?

「す、すみません!」

 私は思わず頭を下げようとする。

 しかしレオンは慌てて手を振った。

「どうかそのままで」

 柔らかな笑みは、最初に店へ入ってきた時と何も変わらない。

「今日は一人の客として来たかったのです」

 その言葉に、私はゆっくりと顔を上げた。

 レオンは雛菊の花束へ目を向ける。

「あなたの料理をまた食べに来てもよろしいでしょうか」

 私はようやく笑顔を取り戻し、大きく頷いた。

「もちろんです」

「公爵家のご子息でも、お客様はお客様ですから」

 その返事を聞いたレオンは、どこか嬉しそうに微笑んだ。



 ◇◇◇



 私は窓辺に肘をつきながら、小さくため息をついた。

 店の前では、レオンを乗せた馬車がゆっくりと遠ざかっていく。

 護衛の騎士たちも後ろに続き、その姿はやがて街路樹の向こうへ消えていった。

「ヴェダー?」

 ヴェダーは葉っぱを揺らしながら窓の外をじっと眺め、不思議そうに振り向いた。

「トーカチーの偉い人なんだよ」

「ヴェダー」

 よく分からないけれど、とりあえず納得したように頷く。

 私は苦笑した。

「私も、まだよく分かってないんだけどね」

 市場で初めて会った時は、礼儀正しい青年だと思った。

 困っていた私を助けてくれて。

 お店の開店祝いに雛菊の花束を持ってきてくれて。

 ラーメンを食べて、「美味しい」と笑ってくれた。

 それがまさか、公爵家の息子だなんて。

「びっくりしたなぁ」

 思い出すだけで恥ずかしくて頬が熱くなる。

「もっとちゃんとした話し方をすればよかったかな」

 いや。

 敬語では話していたけれど、「どうぞどうぞ」なんて席へ案内したり、「熱いので気を付けてくださいね」なんて普通に声を掛けたり。

「失礼じゃなかったかな……」

「ヴェダー!」

 一匹のヴェダーが勢いよく首を横に振った。

 葉っぱまでぶんぶん揺れている。

「あはは」

「慰めてくれるの?」

「ヴェダー!」

 今度は力強く頷いた。

 その姿がおかしくて、思わず笑ってしまう。

「そうだよね」

 レオンは最後まで公爵家の息子らしく振る舞わなかった。

 偉そうな態度も。

 身分を誇るような言葉も。

 一度もなかった。

 むしろ、椅子を引く時も、ヴェダーたちへ話しかける時も、私の料理を味わう時も。

 どこまでも穏やかで、丁寧だった。

「だからかな」

 私は花瓶へ飾った雛菊を眺める。

 白い花が静かに揺れている。

「レオンさんはレオンさんなんだよね」

「ヴェダー」

 ヴェダーたちも花を見上げて頷いた。

「また来てくれるかな」

「ヴェダー!」

 七匹そろって元気よく返事をする。

「そうだといいな」

 私は花瓶の水を替えながら微笑んだ。

 身分なんて関係ない。

 この店へ来れば、みんな同じお客様。

 肉屋さんも。

 テオも。

 市場のおばあちゃんも。

 そしてレオンハルト様も。

 同じ椅子に座って、同じ丼でラーメンを食べる。

 それがヴェダー亭だ。

「今度来た時も」

 私は窓の外へ目を向ける。

 夕暮れの風が暖簾をふわりと揺らした。

「チャーシュー、少し多めにしてあげようかな」

「ヴェダー!」

 七匹が一斉に葉っぱを揺らす。

「えっ?」

「それじゃあ不公平?」

「ヴェダー!」

 今度は全員が大きく頷いた。

「あはは、ごめんごめん」

 私は笑いながら両手を合わせた。

「みんな同じだよね」

 お客様は、みんな平等。

 それが私の店の、一番大切な約束なのだから。