異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

「ヴェダー亭……ここでラーメンとやらが食えるのか?」

 窓を拭いていると、恰幅の良い肉屋のご主人が奥さんと連れ立って店を訪れた。

 手には油紙に包んだ塊肉を抱え、目尻に深い皺を寄せて笑っている。

「ヴェダー……」

 ヴェダーたちは慌てて私の足元へ隠れ、葉っぱを揺らしながら二人を見上げていた。

「大丈夫よ、お客様だから」

「ヴェダー」

 安心したように葉っぱを一度だけ揺らす。

 私は手を洗い、玄関へ向かった。

「こんにちは、いらっしゃいませ」

「おう」

 肉屋のご主人は照れくさそうに油紙を差し出す。

「これは店の開店祝いだ。よかったら使ってくれ」

「えっ?」

 受け取ると、ずっしりと重い。

 包みを少し開けると、見事な豚ロースの塊肉が顔を覗かせた。

「あっ……!」

「いつも肩ロースばかり買っていくだろ?」

 ご主人が笑う。

「たまには違う部位も使ってみると面白いと思ってな」

「ありがとうございます!」

 思わず頭を下げる。

「助かります!」

「なあに、商売繁盛のおまじないみたいなもんさ」

 隣で奥さんも優しく笑った。

「頑張ってね」

「はい!」

 胸がじんわり温かくなる。

 異世界でお店を開いて、お祝いをもらえる日が来るなんて思ってもみなかった。

「さあ、どうぞどうぞ!」

 私は椅子を引き、二人を窓際の席へ案内する。

 すると。

「おや?」

 奥さんが窓辺を見て目を丸くした。

「あなた」

「ああっ!」

 ご主人も驚いた声を上げる。

「……森の妖精じゃないか!」

「初めて見た!」

「ジュリッ」

 シマエナガは首を傾げながら、小さく鳴いた。

 怖がる様子もなく、窓辺で羽繕いをしている。

「この子、爽子さんが飼ってるのかい?」

「飼っているというより、一緒に暮らしています」

「信じられん……」

 ご主人は感心したように腕を組む。

「森の妖精は人前には姿を見せないって聞いてたぞ」

「怪我をしていたところを助けたんです」

「なるほどなぁ」

 奥さんは嬉しそうにシマエナガを眺めていた。

「ふわふわで可愛いねぇ」

「ジュリ」

 褒められて嬉しいのか、シマエナガは羽を少し膨らませる。

「それじゃあ」

 私はエプロンの紐を結び直した。

「ラーメンを作りますね」

「おう!」

 ご主人が勢いよく頷く。

「肉屋をやってるからな。豚骨ってやつがどんな料理になるのか楽しみで仕方なかった」

「私も楽しみ」

 奥さんも笑顔だ。

 私は厨房へ立つ。

 新しく焼き上がった丼を並べる。

 寸胴鍋の蓋を開けると、白い豚骨スープから湯気が立ち上った。

 麺を茹でる。

 チャーシューを切る。

 ねぎを刻む。

 一つ一つ、いつも以上に丁寧に。

 初めてのお客様だから。

 いや。

 私のお店を応援してくれる、大切なお客様だから。

「お待たせしました」

 二つの丼を運ぶ。

 白い湯気がふわりと立ち上る。

「おお……」

 ご主人の目が大きく開く。

「これがラーメンか」

「綺麗だねぇ」

 奥さんもうっとりと見つめる。

 艶やかなチャーシュー。

 刻みねぎ。

 黄金色の卵麺。

 乳白色の豚骨スープ。

 二人はしばらく眺めていた。

「冷めないうちにどうぞ」

「いただきます」

 まず、ご主人がれんげでスープをすくう。

 一口。

 その瞬間。

「……おい」

 奥さんへ顔を向ける。

「先にスープを飲め」

「え?」

「いいから」

 奥さんも不思議そうにれんげを口へ運ぶ。

 一口。

 そして二人とも動きが止まった。

「……」

 店の中が静かになる。

 ヴェダーたちも固唾を呑んで見守っている。

 やがて。

「なんだ、これは……」

 ご主人が小さく呟いた。

「豚だ」

 もう一口飲む。

「豚なのに臭くない」

「それどころか甘いね」

 奥さんが驚いたように言う。

「口当たりがとても優しい」

「骨からこんな味が出るのか」

 ご主人は信じられないという顔でスープを見つめた。

「肉屋を何十年もやってきたが、こんな食べ方は考えたこともなかった」

 今度は麺を持ち上げる。

 ふうふうと息を吹きかけて口へ運ぶ。

 ずるっ。

「おお!」

 思わず声が漏れる。

「この麺、面白い!」

 もちもちとした食感に、ご主人の頬が緩む。

「スープがよく絡んでくるぞ」

「本当ね」

 奥さんも夢中になって麺をすすった。

「食べるたびに味が変わるみたい」

「変わる?」

「最初は小麦の香り。それから豚骨の旨味。最後にねぎがさっぱりさせてくれる」

 ご主人はチャーシューを一枚口へ入れる。

 ほろり。

 肉がほどける。

「この肉も美味い!」

 嬉しそうに笑う。

「うちの豚が、こんな料理になるとはなぁ」

「柔らかいねぇ」

 奥さんも何度も頷いた。

「口の中で溶けちゃう」

 二人はそれから夢中だった。

 言葉を交わすことも忘れ、麺をすすり、スープを飲む。

 やがて。

 最後の一滴まで飲み干すと、ご主人はどんぶりをそっと置いた。

「……参った」

「え?」

「肉屋のわしが言うのも何だが」

 照れくさそうに笑う。

「今日から豚骨を見る目が変わっちまう」

 奥さんも空になったどんぶりを見つめながら微笑んだ。

「食べる前より、なんだか幸せな気持ちになってる」

 その言葉に、私は胸がいっぱいになった。

 ご主人は腕を組み、大きく頷く。

「爽子さん」

「はい」

「このラーメンは流行る」

 力強い声だった。

「明日、うちへ肉を買いに来る客みんなに話してやる。」

 私は驚いて目を見開く。

「本当ですか?」

「もちろんだ」

 ご主人は豪快に笑った。

「こんな美味いもんを、この町の連中に食わせないなんてもったいねぇからな!」