異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

ザワザワと椎木の枝が、午後の爽やかな風に揺れた。

 遠くから教会の鐘の音が響いてくる。

 コンコン――。

 ゆったりとした鐘の音が、町中へ優しく広がっていった。

 テオは飲み終えたコーヒーカップを両手で包むように持ち、最後の一口をゆっくり味わう。

 それから静かにテーブルへ戻した。

「そろそろ職場へ戻ります」

「あっ!」

 私は思わず声を上げた。

「途中までご一緒してもいいですか?」

 テオは少し驚いたようにこちらを見る。

「市場へ買い物に行こうと思っていたんです」

「そうでしたか」

 麻袋を肩へ掛けると、テオは小さく頷いた。

「もちろんです」

「ありがとうございます」

 私は嬉しく笑う。

 厨房をひと通り見回り、窯の火を確かめる。

 保冷箱の蓋を閉め、窓も忘れずに閉めた。

 最後に玄関の戸へ鍵を掛ける。

「ちょっと市場まで行ってくるね」

 声を掛けると、ヴェダーたちは一斉にこちらを向いた。

「ヴェダー?」

 留守番だと気付いたのだろう。

 七枚の葉っぱが揃ってしょんぼりと垂れ下がる。

「あらあら」

 私は苦笑する。

「そんな顔しないの」

 一匹なんて今にも泣き出しそうだ。

「チーズ、買ってくるから待っててね」

 その一言で空気が変わる。

「ヴェダー!」

 葉っぱがぴんっと真っ直ぐ立ち上がる。

 さらに嬉しそうに、その場でくるくると回り始めた。

 他のヴェダーも負けじと回る。

 七匹揃って葉っぱを振り回しながら踊り出した。

「ふふっ」

「よほど好きなんですね」

 隣で見ていたテオが珍しく笑う。

「はい。チーズと卵が大好物なんです」

「そうですか」

 テオは少しだけ目を細めた。

 シマエナガも「ジュリ」と鳴きながら窓辺へ飛んでいく。

 どうやら留守番を引き受けてくれるらしい。

「じゃあお願いね」

「ジュリッ」

 私は安心して扉を閉めた。

「お待たせしました」

「はい」

 二人で並んで石畳の道を歩き始める。

 午後の日差しは暖かく、吹き抜ける風は心地よかった。

 道端には名前も知らない白い花が咲き、小さな蝶がひらひらと舞っている。

 市場へ向かう人たちとすれ違うたび、「こんにちは」と声を掛けられた。

「こんにちは」

 私も笑顔で返す。

「すっかり町に馴染みましたね」

 テオがぽつりと言った。

「そうですか?」

「最初に農業ギルドでお会いした頃とは、まるで違います」

「あの頃は毎日必死でしたから」

 トマトを枯らしかけたり、畑で失敗したり。

 思い返せば、失敗ばかりだった。

「でも、テオさんのおかげです」

「私は少し助言しただけです」

「その助言が大きかったんですよ」

 そう言うと、テオは照れくさそうに眼鏡を押し上げた。

「ありがとうございます」

 少しだけ頬が赤くなっている。

 真面目な人だなぁ。

 そんなことを思いながら歩いていると、市場の賑わいが聞こえてきた。

「いらっしゃい!」

「朝採れ野菜だよ!」

「焼きたてパン!」

 威勢のいい呼び込みが、あちらこちらから飛んでくる。

 香ばしいパンの匂い。

 焼いた肉の匂い。

 香辛料の刺激的な香り。

 思わずお腹が鳴りそうになる。

「今日は買う物がたくさんあるんです」

 私は麻袋を軽く叩いた。

「まずは肉屋さんですね」

「何を作る予定なんですか?」

「豚骨ラーメンにチャーシューを乗せようと思って」

「チャーシュー?」

「豚肩ロースをじっくり煮込んだ料理です」

 テオは興味深そうに頷いた。

「また新しい料理ですね」

「はい。ラーメンはまだ完成じゃないんです」

「まだですか?」

「もっと美味しくなります」

 私は少しだけ胸を張る。

「豚肩ロースと長ねぎ、生姜、それからにんにくも欲しいですね」

「なるほど」

「あと、日用品店でタコ糸があるか見たいんです」

「糸ですか?」

「お肉を縛るんですよ」

 その言葉にテオは目を丸くした。

「料理に糸を使うのですか?」

「使いますよ」

 私は笑って頷く。

「形が崩れないように縛るんです」

「……料理というのは奥が深いですね」

 感心したように呟くテオを見て、私は少しだけ嬉しくなった。

 市場の入口はもう目の前だった。

 肉屋の店先には、大きな豚肉の塊がずらりと並び、威勢のいい店主がこちらへ大きく手を振っていた。