異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

コポコポコポ……。

 食後のコーヒーを淹れる。

 コーヒーといっても、どんぐりを焙煎した、どんぐりコーヒーだ。

 本物のコーヒー豆とは違い、苦味は少ない。

 代わりにナッツや炒ったお米を思わせる、香ばしく優しい香りがある。

 森林の多い十勝ならではの味わいだ。

 私は麻布で作った小さな袋へ粉を入れ、ゆっくりとお湯を回しかける。

 コポコポ。

 細かな泡が立ち、茶色い雫が一滴ずつ落ちていく。

 部屋いっぱいに、ほっとする香りが広がった。

「テオさん、お砂糖は入れますか?」

「私は入れません」

「わかりました」

 私はカップを二つ用意し、静かに注ぐ。

 カチャ。

 テオの前へそっと置いた。

 テオは両手でカップを包むように持ち、大きく息を吸う。

「いい香りです」

「そうですか」

 嬉しくなって少し笑う。

 そういえば網走では、港が近かったせいか貿易品が多かった。

 ギルが淹れてくれたのは、本物のコーヒー豆だった。

 深い苦味と甘い香り。

 あれは本当に美味しかった(砂糖が山盛りでなければ)。

 もしテオがあのコーヒーを飲んだら、きっと驚くだろう。

 そんなことを考えていると。

「ジュリッ」

 窓の外から聞き慣れた声がした。

 白い大きな顔が、ひょこっと窓から覗く。

「おはよう……じゃなかった」

 私は笑う。

「コーヒーの匂いにつられてきたの?」

「ジュリ」

 シマエナガは嬉しそうに鳴いた。

 その姿を見た瞬間だった。

 カップを持っていたテオの手が止まる。

「……これは」

 銀縁眼鏡の奥の目が大きく見開かれた。

「森の妖精ですね……」

「え?」

 私は思わず聞き返す。

「森の妖精?」

「はい」

 テオは立ち上がり、ゆっくり窓へ近付いた。

 シマエナガは警戒する様子もなく首を傾げる。

「ジュリ?」

「こんな近くで見るのは初めてです」

 テオは静かに呟いた。

「とても珍しい鳥です」

「珍しいんですか?」

「ええ」

 頷く。

「人を嫌い、原生林のさらに奥深くで暮らしています」

「そうだったんだ」

 私はシマエナガを見る。

 そういえば、最初に出会ったのもブナの原生林だった。

 怪我をしていなければ、きっと今でも森の奥で暮らしていたのだろう。

 テオは感心したように続ける。

「人前へ姿を現すことは滅多にありません」

「へぇ」

「森へ何十年入っても、一度も見たことがない猟師もいるくらいです」

「そんなに?」

「はい」

 私は窓辺で羽繕いをしているシマエナガを見る。

「全然そんな感じしないけど」

「ジュリ」

 シマエナガは呑気に羽を整えていた。

 テオはその姿をじっと観察する。

 頭の先から尾羽まで。

 何かを確かめるように。

 しばらく見つめてから、小さく呟いた。

「……かなり大きいですね」

「え?」

「普通は手のひらより小さいはずです」

 私はシマエナガを振り返った。

「確かに......」

 テオはゆっくり頷く。

「伝承では」

 一度言葉を区切る。

「森の妖精は長い年月を生きると、少しずつ大きくなるそうです」

「大きく?」

「はい」

 私は思わずシマエナガと目を合わせた。

「ジュリ?」

 本人は全く気にしていない。

「どれくらい大きくなるんですか?」

 私が尋ねると、テオは真面目な顔で答えた。

「小熊くらいです」

「こっ、小熊!?」

 思わず大きな声が出た。

 ヴェダーたちまでびくっと肩を震わせる。

「ヴェダー!?」

「本当です」

 テオは静かに頷いた。

「古い文献にも残っています」

「小熊って……そんなに?」

 私はもう一度シマエナガを見る。

 そういえば。

 最近、庭の白樺から。

 ミシッ。

 ボキッ。

 そんな音を何度か聞いた。

 風だと思っていたけれど。

「まさか……」

 シマエナガは枝へ飛び乗る。

 ミシッ。

 やっぱり鳴った。

「あっ」

 よく見ると、以前より身体が一回り大きい気がする。

「気のせいじゃなかったんだ」

 私はぽつりと呟いた。

 テオは少し笑う。

「上田さんによく懐いていますから」

「え?」

「安心して栄養を取れているのでしょう」

「そうなのかな」

 シマエナガは嬉しそうに「ジュリッ」と鳴いた。

 テオはさらに続ける。

「そして、もう一つ伝承があります」

「まだあるんですか?」

「はい」

 少しだけ表情を和らげる。

「十分に成長した森の妖精は、人を背中へ乗せて空を飛ぶと言われています」

「……え?」

 私は固まった。

「人を?」

「はい」

「空を?」

「はい」

 あまりにも当たり前のように答えるので、思わずシマエナガを見る。

 白いふわふわの身体。

 丸い黒い瞳。

 首を傾げて「ジュリ?」と鳴いている。

 その背中へ乗って空を飛ぶ自分の姿を想像してみる。

「……本当に?」

「伝承ですから、実際に見た者はほとんどいません」

 テオは苦笑した。

「ですが、森の妖精は森を守る精霊の使いとも言われています」

「精霊の使い……」

 私はそっとシマエナガの頭を撫でた。

 ふわふわの羽毛が指先をくすぐる。

「ジュリ」

 気持ちよさそうに目を細める。

 この子が、いつか私を乗せて空を飛ぶ日が来るのだろうか。

 そんなことを考えると、胸の奥が少しだけわくわくした。