異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

「どうぞ召し上がれ」

 私は湯気の立つ深めの器を、そっとテオの前へ置いた。

 乳白色の豚骨スープ。

 黄金色の卵麺。

 刻みねぎ。

 湯気と一緒に、豚骨の濃厚で香ばしい香りがふわりと店内へ広がる。

 向かいに座ったテオは、生まれて初めて見る料理を前に、すっかり体をこわばらせていた。

「これは……なんですか?」

 銀縁眼鏡の奥の視線は、器に釘付けになっている。

 右手にはフォーク。

 その先が、かすかに震えていた。

「豚骨ラーメンです」

「豚骨……?」

 聞き慣れない言葉を口の中で繰り返す。

「豚の……骨ですか?」

「はい!」

 私が元気よく頷くと。

 みるみるうちにテオの顔色が青くなった。

 その表情は、まるで私が魔女で、何か禍々しい秘薬でも勧めているかのようだ。

「骨を……食べるのですか?」

「違います、違います」

 私は慌てて首を振った。

「骨は食べません。骨から出汁を取ったスープなんです」

「出汁……」

「骨の旨味だけをいただくんです」

 テオは恐る恐るどんぶりを覗き込んだ。

 白く濁ったスープ。

 細く縮れた黄色い麺。

 どう見ても、この世界では見たことのない料理だ。

 その横では七匹のヴェダーたちが、椅子の上へ並んで様子を見守っている。

「ヴェダー」

 シマエナガまで窓辺から首を伸ばしていた。

 まるで全員がテオの反応を楽しみにしているようだった。

「美味しいですよ?」

 私は笑顔で言う。

「冷めないうちに食べてみてください」

「……はい」

 テオは小さく頷いた。

 まず、どんぶりへ顔を近付ける。

 すうっと香りを吸い込む。

 その瞬間だった。

「あ……」

 ほんの少しだけ表情が変わる。

 最初の警戒した顔ではない。

 目を閉じ、ゆっくりと香りを確かめている。

 豚骨の甘い香り。

 小麦の香り。

 ねぎの爽やかな香り。

 全部が混ざり合い、湯気と一緒に立ち上っていた。

「……いい香りです」

「でしょう?」

 私は少しだけ胸を張る。

 テオは恐る恐るフォークを麺へ差し入れた。

「これは、どうやって食べるのですか?」

「あっ」

 そうだった。

 この世界には箸がない。

 私は急いで厨房から二本の細い木の棒を持ってきた。

「本当は、こういう道具で食べるんです」

「二本……ですか?」

「はい」

 簡単に持ち方を教える。

 テオはぎこちなく指を動かした。

「難しいですね」

「最初はみんなそうですよ」

 何度か挑戦するけれど、麺はつるりと逃げてしまう。

 その様子を見てヴェダーたちが楽しそうに笑っていた。

「ヴェダー!」

「今日はフォークでも大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」

 少し安心したように笑う。

 フォークで麺を巻き取る。

 湯気が立ちのぼる。

 ふう、と一度息を吹きかける。

 そして。

 ゆっくり口へ運んだ。

 ちゅるっ。

 もちもちとした卵麺を噛む。

 その瞬間。

 テオの動きが止まった。

「……」

 目が大きく見開かれる。

 もう一口。

 今度はゆっくり噛む。

 豚骨スープをたっぷり吸った麺の旨味が、口いっぱいに広がっていく。

「これは……」

 小さく呟く。

「美味しいです」

 私は思わず笑顔になった。

「本当ですか?」

「はい」

 今度はスプーンを手に取る。

 白いスープをすくう。

 まだ少し警戒している様子だったけれど、思い切って口へ運んだ。

 一口。

 二口。

 そのまま目を閉じる。

「……甘い」

 ぽつりと漏らす。

「骨なのに……こんな味になるんですね」

「時間をかけて炊いたんです」

「信じられません」

 テオは何度もスープを口へ運ぶ。

 さっきまでの緊張は、もうどこにもなかった。

 麺を食べ。

 またスープを飲む。

 夢中だった。

 ヴェダーたちも嬉しそうに葉っぱを揺らしている。

「ヴェダー!」

 シマエナガも「ジュリッ」と鳴いた。

 気付けば、どんぶりの中には麺が一本も残っていなかった。

 テオは最後にスプーンを持ち上げる。

 底へ残った白いスープを静かにすくった。

 こくり。

 最後の一滴まで飲み干す。

 そして、ふぅっと満足そうに息を吐いた。

 しばらく空になったどんぶりを見つめていたが、やがて顔を上げる。

「上田さん」

「はい」

「もう一杯……いただけませんか?」

 一瞬きょとんとした私は、思わず吹き出してしまった。

「あははっ」

 それが何より嬉しい感想だった。

「もちろんです」

 私は立ち上がり、グツグツと沸騰する大鍋の麺籠へ卵麺をパラパラと振り入れた。

 熱湯の中で卵麺がゆっくりと踊る。

 寸胴鍋の蓋を開ける。

 白い湯気が、もう一度ふわりと厨房いっぱいに広がった。