異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

寸胴鍋の中では乳白色の豚骨スープがグツグツと音を立てている。

 立ちのぼる香ばしく濃厚な香りが食欲をそそる。

 昨日一日かけて炊き上げた豚骨スープ。

 骨の髄まで溶け込んだ白いスープは、とろりとした艶をまとっている。

 私は木杓子でそっと混ぜる。

 湯気と一緒に立ちのぼる香りを胸いっぱい吸い込んだ。

「うん」

 思わず頷く。

 ちゃんと豚骨だ。

 異世界で初めて炊いたとは思えないほど、懐かしい香りがしていた。

 隣の大鍋には麺籠が準備され、湯が沸騰するのを待っている。

 ぼこぼこと大きな泡が上がり始めた。

「もうそろそろいいかな?」

 私は保冷箱から熟成させていた卵麺を取り出した。

 布を開くと、小麦の優しい香りがふわりと広がる。

 まな板の上へ広げ、手でパラパラとほぐす。

 一本一本が気持ちよく離れていく。

 その様子を見ていたヴェダーたちが、体を左右に揺らし始めた。

「ヴェダー!」

 どうやら真似したいらしい。

 一匹が麺を一本持つ。

 反対側を別の一匹が持つ。

「ヴェダー!」

「ヴェダー!」

 二匹で引っ張り合いを始めた。

「だめだめ」

 私は慌てて取り上げる。

「まだ料理の途中だから」

「ヴェダー……」

 少しだけ残念そうに葉っぱを垂らす。

 その横でシマエナガは首を傾げながら、「ジュリ」と不思議そうに麺を眺めていた。

 大鍋は勢いよく煮えたぎっている。

 ぐらぐら。

 ぼこぼこ。

 熱湯が卵麺を待っているようだった。

 ごくり。

 思わず喉が鳴る。

 いよいよだ。

 私は麺の打ち粉を軽く払う。

 余分な粉がさらさらと落ちていく。

 麺籠を持ち上げる。

 一つ。

 ふわりと麺を入れる。

 二つ。

 優しく重ねる。

 三つ。

 全部入れ終えると、そのまま静かに湯の中へ沈めた。

 すぐには触らない。

 これも大切なコツだ。

 少しだけ待つ。

 表面が落ち着いた頃を見計らって、菜箸を差し込む。

 くるり。

 くるり。

 優しくほぐす。

 麺が踊るように湯の中を泳ぎ始めた。

「いい感じ」

 黄色い卵麺が少しずつ透明感を帯びていく。

 私は一本だけ箸で持ち上げる。

 指先で軽く押す。

 まだ少し固い。

 もう少し。

 時計なんてない。

 頼れるのは長年の勘だけだ。

 もう一本。

 口へ運ぶ。

 もちっ。

 歯を押し返す弾力。

 その奥に、ちょうどいい芯が残っている。

「よし」

 今だ。

 私は麺籠を勢いよく持ち上げた。

 チャッ。

 チャッ。

 チャッ。

 手首を返しながら湯を切る。

 勢いよく振るたび、水滴がきらきらと飛び散った。

 深めの器へ麺を滑らせる。

 その上から、熱々の豚骨スープをたっぷり注ぐ。

 乳白色のスープが麺を優しく包み込んだ。

「いただきます」

 市場で買ってきた青ねぎを刻む。

 彩りに散らす。

 今度はチャーシューをのせてみよう。

 最後に黒胡椒を少しだけ。

 湯気が立ち上る。

 豚骨の甘い香り。

 小麦の香り。

 ねぎの爽やかな香り。

 全部が混ざり合って、厨房いっぱいに広がった。

「できた」

 私はどんぶりを両手で持ち上げる。

 白い湯気の向こうに、黄金色の卵麺が揺れている。

 ヴェダーたちは目を丸くしていた。

「ヴェダー!」

 シマエナガまで首を伸ばして覗き込んでくる。

「熱いから気を付けてね」

 私は小さな器へヴェダーたちの分を取り分け、少し冷ましてから並べた。

「いただきます」

 両手を合わせる。

 まずはスープを一口。

 れんげを口へ運ぶ。

「……!」

 思わず目を閉じた。

 豚骨の旨味がじんわりと広がる。

 臭みはなく、まろやかで優しい甘みが口いっぱいに残った。

「美味しい……」

 異世界へ来てから、ずっと恋しかった味。

 完全に同じではない。

 でも間違いなく、私の知っているラーメンの味だった。

 今度は麺を箸で持ち上げる。

 つやつやと輝く黄色い卵麺。

 ふうふうと息を吹きかけて口へ運ぶ。

 ずるっ。

 もちもち。

 しこしこ。

 豚骨スープが麺によく絡んでいる。

 噛むたびに小麦の香りが広がった。

「うん!」

 自然と笑顔になる。

「これだ」

 私が作りたかったラーメン。

 ヴェダー亭の最初の一杯。

 ようやく形になった。

「ヴェダー!」

 ヴェダーたちも器を抱えて夢中になって食べている。

 熱いのか、ふーふーと息を吹きかける真似までしていた。

 一匹は口の周りを真っ白なスープだらけにしている。

「ゆっくり食べてね」

「ヴェダー!」

 シマエナガは器へ顔を近付けると、「ジュリ」と鳴きながらスープを一口飲んだ。

 それから目を丸くして、もう一口。

 さらにもう一口。

 すっかり気に入ったようだった。

 気付けば、どんぶりは空になっていた。

 最後の一滴まで飲み干す。

 ふぅ、と息を吐く。

 身体の芯から温かくなっていた。

 私は空になったどんぶりを見つめ、静かに微笑む。

「よし」

 あとは、この一杯を誰かに食べてもらうだけだ。

 真っ先に思い浮かんだのは、銀縁眼鏡の奥で少し照れたように笑う、あの真面目な農業ギルド職員の顔だった。