異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

 次はスープだ。

 札幌ラーメンの命。

 麺ができても、スープがなければ始まらない。

 私は市場を何軒も歩き回った。

 乾物屋。

 調味料屋。

 保存食を扱う露店。

 樽が並ぶ店を見つけるたび、中を覗いて回る。

「すみません、味噌はありますか?」

 どのお店でも返ってくるのは同じ答えだった。

「ミソ?」

 首を傾げられる。

 醤油は売っている。

 塩もある。

 香辛料も種類が豊富だ。

 けれど、肝心の味噌だけが見当たらない。

 樽の蓋を開けても、あの麹独特の甘い香りはどこにもなかった。

「味噌に代わるものは……おいおい考えよう」

 私は肩をすくめる。

 ないものは仕方がない。

 まずはスープそのものを完成させよう。

 味噌はその後でも遅くない。

 肉屋へ向かう。

 店先には立派な豚肉がずらりと並んでいた。

「ゲンコツをください、あと背脂も......」

「えっ、こんなゴミ屑が欲しいのかい?」

「はい」

 やっぱりこの世界では、骨や野菜の切れ端は『ゴミ』として捨てられる。

 おじさんは不思議そうに、大きな骨をいくつも紙へ包んでくれた。

「タダでいいよ」

「えっ!いいんですか!?」

「もともと捨てるゴミだ、また欲しくなったらおいで」

「ありがとうございます!」

 二キログラムの豚ゲンコツ。

 籠へ入れると、ずしりと腕へ重みが伝わる。

「重い……」

 でも、この重さが美味しいスープになる。

 私は少し嬉しくなった。

 あとは、長ネギと生姜、ニンニクも忘れずに。八百屋の店先で長ネギを手に取ると、「くすんくすん」と泣き出した。

「ごめんね、大事に食べるからね。いただきます」

 すると長ネギたちは静かになった。


 ◇◇◇


 ヴェダー亭へ戻る。

 厨房へゲンコツを並べる。

 ゴトン。

 ゴトン。

 まな板の上へ骨を置くたび、鈍い音が響いた。

 まだ赤い血が滲み、独特の獣臭さが漂う。

 初めて見る光景だったのだろう。

 ヴェダーたちは椅子の陰へ隠れて震えていた。

「ヴェダー……」

 一匹は葉っぱだけ出して覗いている。

 もう一匹はシマエナガの羽毛へ顔を埋めてしまった。

 シマエナガも興味津々らしく、首を左右へ傾けている。

「ジュリ?」

「大丈夫よ」

 私は笑う。

「これはね、美味しいスープになるの」

「ヴェダー……」

 まだ半信半疑らしい。

 私は包丁を握った。

 ゲンコツを関節に沿って半分へ割る。

 コツン。

 ゴン。

 骨の中から赤い髄が顔を覗かせた。

 普通なら一晩水へ浸けて血抜きをする。

 でも私はそうしない。

「全部旨味だからね」

 熊ちゃんから教わったやり方だった。

 そのまま野菜と一緒に大鍋へ入れる。

 たっぷりの水を張る。

 火を点ける。

 しばらくすると。

 ふつふつ。

 小さな泡が立ち始めた。

 灰色のアクが次々と浮かんでくる。

「アクを取って……っと」

 網杓子で丁寧に掬う。

 一杯。

 二杯。

 三杯。

 掬っても掬っても浮いてくる。

 根気のいる作業だ。

 厨房には少しずつ豚骨の香りが広がり始める。

 決して良い匂いではない。

 けれど私には懐かしい匂いだった。

 ラーメン屋だった頃、毎日嗅いでいた匂い。

「熊ちゃんも、こんな顔してアク取ってたな」

 思わず笑みがこぼれる。

 弱火でことこと煮込み続ける。

 急ぐ必要はない。

 美味しいスープは時間が作る。

 私は火加減を確認すると、店先の掃き掃除を始めた。

 落ち葉を集める。

 石畳を掃く。

 ヴェダーたちも小さな箒を持って真似をする。

「ヴェダー!」

「ありがとう」

 掃除が終わると、今度は看板へ青いペンキを塗った。

 白木だった文字が鮮やかな青に染まっていく。

 少しずつ、本当に店らしくなってきた。

 井戸へ向かう。

「元気?」

「ヒィ……」

 今日も精霊は小さく返事をした。

 桶で冷たい水を汲み、手を洗う。

 豚骨の脂がさっぱり落ちる。

 空を見上げると、西日が庭を赤く染め始めていた。

「そろそろかな」

 私は厨房へ戻る。

 すると。

 鍋の周りへ七匹のヴェダーがぎゅうぎゅうに集まっていた。

「ヴェダー」

「ヴェダー」

 蓋の隙間から立ち上る湯気を、不思議そうに眺めている。

「危ないよ」

 一匹ずつ抱き上げる。

「葉っぱが燃えちゃうよ」

「ヴェダー」

 床へ下ろされると、少し名残惜しそうに鍋を見つめていた。

「さて」

 私は鍋の蓋を開ける。

 ふわり。

 白い湯気が一気に立ち上る。

 中を覗く。

「うん」

 いい具合だ。

 骨の周りの肉はほろりと崩れ始め、筋も柔らかくなっている。

 私はそれらを大きな寸胴鍋へ移した。

 さらに刻んだ背脂も加える。

「ここからが勝負」

 火力を強める。

 グツグツ。

 グツグツ。

 鍋全体が大きく沸き立つ。

 乳白色のスープにするためには、ここから一気に炊き上げなければならない。

「スープが白くなるまで、我慢我慢」

 私は木べらを握る。

 骨についた肉。

 軟骨。

 髄。

 全部が溶け込むように、ひたすら炊く。

 まるで火山の噴火口みたいだった。

 ぐらぐら。

 ぼこぼこ。

 激しく泡が弾ける。

 水はどんどん減っていく。

「おっと」

 減った分だけ新しい水を足す。

 鍋底は焦げやすい。

 木べらで底からゆっくり混ぜる。

 また炊く。

 また混ぜる。

 その繰り返し。

 気付けば窓の外は薄暗くなっていた。

 私はランプへ火を灯す。

 橙色の灯りが厨房を優しく照らした。

 グツグツ。

 グツグツ。

 規則正しい音だけが部屋へ響く。

 最初は興味津々だったヴェダーたちも、さすがに退屈したらしい。

 一匹。

 また一匹。

 巨大なシマエナガのふわふわの羽毛へ寄りかかる。

「ヴェダー……」

 そのまま目を閉じてしまった。

 シマエナガも動かない。

「ジュリ……」

 優しく羽を広げ、七匹を包む。

 白い羽毛の中から葉っぱだけが並んで見えていた。

「ふふっ」

 私は小さく笑う。

「みんな、おやすみ」

 再び鍋へ向き直る。

 中を見ると、背脂はすっかり溶け、骨の髄も抜け切っていた。

 残っているのは真っ白になった骨だけ。

「できた」

 寸胴を火から下ろす。

 大きなザルを用意し、ゆっくりとスープを濾していく。

 さらり、と乳白色の液体が鍋へ落ちる。

 湯気の向こうに、なめらかな白いスープが現れた。

 私は木杓子ですくい、一口だけ口へ運ぶ。

 優しい豚の甘み。

 骨の旨味。

 じんわりと身体へ染みる深いコク。

「うん……」

 思わず頷く。

「これは、美味しい」

 異世界で初めて炊き上げた豚骨スープが、静かに完成した。