異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

髪の毛をひとつにまとめる。

 青色のエプロンを身につけ、三角巾をきゅっと結ぶ。

 鏡の前へ立ち、自分の顔をじっと見つめた。

 少し緊張している。

「よし」

 口角を上げて笑顔を作る。

 それから両手で頬を三回。

 ぺちん。

 ぺちん。

 ぺちん。

 これが昔から変わらない、私の気合いの入れ方だった。

 ラーメンヴェダー亭を熊ちゃんと始めた日も。

 忙しい週末の仕込みの日も。

 いつも鏡の前でこうして頬を叩いた。

「今日も頑張ろう」

 そう呟くと、不思議と身体の力が湧いてくる。

 振り返ると、七匹のヴェダーたちがキッチンカウンターによじ登っていた。

「ヴェダー!」

 木べらを持ってみたり。

 麺棒を転がしてみたり。

 一匹はボウルを覗き込み、もう一匹はまな板をぺたぺた触っている。

「今日は遊び道具じゃないよ」

「ヴェダー」

 少しだけしょんぼりした声が返ってきた。

 でも興味津々なのは変わらない。

 みんな目をきらきらさせながら私の手元を見つめている。

 この世界には便利なキッチンスケールなんてない。

 計量カップもない。

 あるのは私の手と、長年の勘だけ。

「大丈夫」

 私は深呼吸をする。

 熊ちゃんと何千食も作ってきた。

 身体が覚えている。

 ボウルへ水を注ぐ。

 チョボが産んでくれた卵を一つ割る。

 殻が入らないように指先でそっと取り除き、塩をひとつまみ。

 木べらで静かに混ぜ合わせる。

 黄色かった卵が少しずつ水へ溶け込み、優しい色になっていく。

 そこへ小麦粉を少しずつ加えた。

 一気に入れると混ざりにくい。

 少し入れて混ぜる。

 また少し入れて混ぜる。

 焦らない。

 ゆっくり。

 木べらが少しずつ重たくなっていく。

 やがて、生地はしっとりとしたそぼろのようになった。

「ここからね」

 私は木べらを置く。

 両手で生地をまとめる。

 ぎゅっ。

 押して。

 返して。

 また押す。

 粉っぽかった生地が、少しずつひとつにまとまっていく。

 掌へ伝わる感触が懐かしい。

 何度も。

 何度も。

 力を込めて捏ねる。

 生地がつるりと滑らかになってきた。

「これで、よし!……っと」

 私は満足そうに頷いた。

 日本ならラップで包むところだけれど、この世界にはラップもビニール袋もない。

 だから清潔な布で丁寧に包み、厨房の隅へそっと置く。

「少し休憩してね」

 生地にも休む時間が必要だ。

 その間、私は洗濯物を庭へ干した。

 初夏の風が吹き抜け、白い布が気持ちよさそうに揺れる。

 店へ戻ると、今度は食堂のテーブルを一つ一つ拭いていく。

 椅子を整え、窓を開ける。

 シマエナガが「ジュリッ」と鳴きながら窓辺へ降りてきた。

 ヴェダーたちは布に包まれた生地の周りをぐるぐる歩き回り、「ヴェダー」と小さく囁いていた。

「まだ食べられないよ」

「ヴェダー……」

 残念そうに葉っぱを垂らしている。

 その姿が可愛くて、私はくすりと笑った。

 やがて太陽がゆっくり西へ傾き始める。

 厨房へ戻り、布をそっと開いた。

「どれどれ?」

 指先で生地を押してみる。

 しっとり。

 もちっと弾力がある。

「いい感じ」

 まな板へたっぷり打ち粉を振る。

 生地を置き、麺棒でゆっくりと伸ばしていく。

 ころころ。

 ころころ。

 少し向きを変えて、また伸ばす。

 均一な厚さになるよう丁寧に。

 最後は何層にも折り重ね、包丁を握る。

 トントントン。

 一定の幅で細く切っていく。

 切り口から、ちぢれた麺がふわりとほどけた。

 私は一本つまみ上げる。

「うん」

 思わず笑みがこぼれた。

 懐かしい黄色い卵麺。

 ヴェダー亭、最初のラーメンの麺が、ようやく出来上がった。