異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

さて、そろそろヴェダー亭の本格オープンを目指そう。

 鶏小屋もできた。

 畑には新しいトマトとバジルの苗を植え直した。

 少しずつ店らしい形が整ってきた今、いよいよ一番作りたかった料理へ挑戦する時が来た。

「まずはラーメンね」

 私は厨房の作業台を優しく撫でる。

 熊ちゃんと二人で何度も何度も打った麺。

 毎日仕込みをしていた頃の景色が、昨日のことのようによみがえった。

 最初に作るのは、札幌ラーメンに欠かせない卵麺だ。

 もちもちとして、黄色く艶があり、スープがよく絡むちぢれ麺。

 あの食感だけは絶対に再現したい。

 小麦粉に卵を一個。

 水。

 塩をひとつまみ。

 しっかりこねて寝かせ、何度も折り畳んで延ばす。

 最後に細く切れば、もちもちのちぢれ麺が出来上がる。

「うまくできるかな」

 少しだけ胸が高鳴る。

 この世界の小麦は日本とは違う。

 卵もチョボの卵だから味が違うだろう。

 だからこそ試作を重ねなくちゃいけない。

「ヴェダー、お留守番よろしくね」

「ヴェダー!」

 七匹が元気よく葉っぱを揺らす。

 シマエナガも庭の木の上から「ジュリッ」と鳴いた。

「すぐ帰るからね」

 私は籐の籠を腕へ掛け、玄関の扉を開けた。

 昨夜降った雨はすっかり上がっている。

 雨上がりの空は驚くほど青く澄み渡り、空気まで洗われたようだった。

 石畳にはあちこち水たまりが残っている。

 その中には青空と白い雲が映り込み、小さな鏡のように揺れていた。

 思わず避けずに覗き込みたくなる。

「綺麗」

 私は小さく呟く。

 市場へ近付くにつれ、人の話し声が賑やかになってきた。

 色とりどりのフラッグが風にはためき、露店がずらりと並んでいる。

 焼いた肉の香ばしい匂い。

 焼きたてパンの甘い香り。

 香辛料の刺激的な匂いまで混ざり合って、お腹が鳴りそうになる。

 いつ来ても活気のある市場だ。

 いつもの八百屋の前を通ると。

「しくしく……」

 人参が泣いていた。

「えっ」

 私は思わず立ち止まる。

「今日は買わないから、大丈夫だよ」

 そう声を掛けると、人参はぴたりと泣き止んだ。

 この世界の野菜は、本当に感情豊かだ。

 今でも時々びっくりしてしまう。

 私は苦笑しながら市場の奥へ進む。

 卵はチョボが毎日産んでくれる。

 今日は小麦だけ買えばいい。

 粉を扱うテントへ入ると、おじさんが大きな樽の前で待っていた。

「いらっしゃい」

「こんにちは」

「小麦粉をください」

「どれくらい?」

「一キログラムお願いします」

「はいよ」

 おじさんは慣れた手付きで秤へ粉を入れ、布袋へ詰めてくれる。

 さらさらと流れる粉を見ているだけで、何だか嬉しくなってきた。

 これで麺が打てる。

 ヴェダー亭だけのラーメンが作れる。

「最初の一杯は誰に食べてもらおう」

 私は布袋を籠へ入れながら考えた。

 ギル。

 市場のおじさんたち。

 ドワーフのみんな。

 いろいろ顔が浮かぶ。

 その時だった。

 ふと、銀縁眼鏡の奥で少し照れたように笑った、あの人の顔が思い浮かんだ。

 木箱を支えてくれた時。

 耳まで赤く染まっていた。

 まるで熟れたトマトみたいだった。

「……テオさん」

 思わず笑みがこぼれる。

「トマトの苗のお礼に、食べてもらえるかな」

 農業のことを教えてくれたお礼。

 初めての一杯を味見してもらうのも悪くない。

 そう思うと、何だか急にラーメン作りが楽しみになってきた。

 私は籐の籠を抱え直し、弾むような足取りでヴェダー亭への帰り道を急いだ。