異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

店の裏の空き地へ出る。

 朝露に濡れた草が足首をくすぐった。

 私は鍬を肩に担ぎ、ぐっと息を吸い込む。

「よし」

 今日は畑を作ろう。

 ヴェダー亭も少しずつ形になってきた。

 鶏小屋ができて。

 鶏が増えて。

 薪置き場も整った。

 次は野菜だ。

 自分で育てた野菜を料理に使えたら、きっともっと美味しい料理が作れる。

 まずは雑草を抜くところから始める。

 しゃがみ込み、根元をしっかり掴む。

 ぐいっ。

 スポン。

 気持ちよく土から抜けた。

 そのまま何本も何本も引き抜いていく。

 ヴェダーたちも真似をして、小さな手で草を引っ張っていた。

「ヴェダー!」

「ありがとう」

 一生懸命引っ張っているけれど、身体が軽すぎるせいで、草が抜けた瞬間に後ろへころんと転がる。

「ヴェッ」

 ごろん。

 その様子がおかしくて思わず笑ってしまう。

「気を付けてね」

「ヴェダー」

 照れたように葉っぱを揺らしていた。

 雑草を片付け終えると、今度は鍬を握る。

 ザクッ。

 ザクッ。

 土を掘り返す。

 黒く湿った土が空気へ触れ、ふわりと土の匂いが立ち上る。

 柔らかくて、いい土だ。

 鍬を入れるたびに、ぷくりとミミズが顔を出した。

「おっと、ごめんね」

 私はそっと横へ逃がそうとする。

 けれど。

「コッ!」

 チョボが猛スピードで駆け寄ってきた。

 コッコッ。

 つん。

 ぱくっ。

「あっ」

 あっという間だった。

 他の鶏たちまで集まってきて、土を夢中でつついている。

「コッコッ」

 美味しそうに食べている姿を見ると、止めるのも何だか野暮な気がした。

「自然ってすごいなぁ」

 そんなことを思いながら鍬を動かす。

 その横ではヴェダーたちが遊び始めていた。

 一匹が大きな石を抱えてくる。

「ヴェダー!」

 よいしょ。

 どすん。

 今度は別の一匹が穴を掘る。

 その穴へ石を落とす。

 また掘る。

 また埋める。

「何してるの?」

「ヴェダー!」

 得意そうに胸を張る。

 遊んでいるだけなのか。

 それともヴェダーなりに手伝っているつもりなのか。

 よく分からない。

 でも、とても楽しそうだった。

 シマエナガはというと。

「ジュリッ!」

 頭の上で元気よく鳴いている。

 白い大きな身体で木から木へ飛び移る。

 ぴょん。

 ふわっ。

 枝へ降り立つたびに。

 ミシッ。

 ミシミシ……。

「大丈夫?」

 思わず木を見上げる。

 普通のシマエナガなら絶対に鳴らない音だ。

 この子は大きすぎる。

 枝の方が悲鳴を上げている。

「ジュリ?」

 本人は全く気にしていないらしい。

 首を傾げながら、また隣の枝へ飛び移った。

 ミシッ。

 私は苦笑する。

「折らないでね」

 初夏の風が白樺を揺らした。

 青葉がさらさらと音を立てる。

 気持ちのいい風が汗ばんだ頬を優しく撫でていった。

「……ふぅ」

 私は鍬を地面へ立てる。

「畑を作るのも一苦労ね」

 腰をぐっと反らす。

 背中がぽきっと鳴った。

 目の前には出来上がった畝が並んでいる。

 真っ直ぐとは言えない。

 少し曲がっている。

 高さも揃っていない。

 それでも黒々とした土はふかふかで、苗を植えるには十分だった。

「上出来かな」

 私は満足そうに頷く。

 昨日、朝市の種苗屋さんで買ってきたトマトの苗を思い出す。

 店先には赤い実を付けた見本が並んでいて、とても美味しそうだった。

『これからが旬だよ』

 おじさんは笑いながら苗を選んでくれた。

『一番花が付いてる苗を選ぶんだ』

『最初の花が元気な苗は丈夫だからね』

 そう言って、小さな黄色い花を咲かせた苗を選んでくれた。

 さらに。

『これも持っていきな』

 細い支柱と麻紐までサービスしてくれた。

『ありがとう』

 市場の人は本当に優しい。

 私は一本一本丁寧に苗を植えていく。

 根鉢を崩さないように。

 そっと土へ入れる。

「苗を植えたら……支柱を立てて……っと」

 辺りを見回す。

「あれ?」

 支柱はどこへ置いたっけ。

 探そうとした、その時だった。

「ヴェダー!」

 元気な声が聞こえる。

 振り返ると。

 七匹のヴェダーたちが一本の支柱を肩へ担ぎ、よたよた歩いてきた。

「えっ」

 しかも一本じゃない。

 次から次へと運んでくる。

 まるで引っ越し屋さんだ。

「ありがとう、ヴェダー」

「ヴェダー!」

 胸を張って得意顔をしている。

 私は笑いながら支柱を立てた。

 ヴェダーが運び。

 私が土へ差し込み。

 麻紐でトマトの茎を八の字に結える。

 またヴェダーが次の支柱を持ってくる。

 息もぴったりだった。

「みんな、本当に働き者ね」

 町の人はヴェダーのことを悪戯好きの厄介者だと言っていた。

 でも。

 私にとっては違う。

 大切な仲間だ。

 良きパートナーだ。

 おかげで苗植えは思ったより早く終わった。

「最後はお水ね」

 私は桶を持って井戸へ向かう。

 チャポン。

「ヒィ……」

 今日も怖がりの精霊が小さく鳴いた。

「いつもありがとう」

 桶いっぱいの水を汲み上げる。

 冷たく澄んだ水をトマトの根元へゆっくり注ぐ。

 ごくごくと土が水を飲み込んでいく。

「大きくなってね」

 私は朝も。

 昼も。

 欠かさず水をあげた。

 まるで子どもを育てるみたいに、毎日話しかけた。

 けれど。

「……あれ?」

 三日ほど経った頃だった。

「おかしいな……」

 元気だった葉が少し垂れている。

 黄色い花も元気がない。

 一週間もすると、花は茶色く萎れ始めた。

「どうして?」

 私は毎日水をあげている。

 日当たりもいい。

 なのに。

 葉は黄色くなり。

 茎もしんなりしていく。

 根元を見ると白い綿のようなものまで生えていた。

「カビ……?」

 胸が締め付けられる。

 せっかく楽しみにしていたのに。

 真っ赤に実ったトマトでミネストローネを作って。

 ピザソースも手作りにして。

 夏限定メニューにしようと思っていたのに。

 苗は日に日に弱っていった。

「どうしよう……」

 翌朝、私は朝市の種苗屋さんへ駆け込んだ。

 事情を話すと、おじさんは苗を見たこともないのに「なるほど」と頷いた。

「一度ギルドで見てもらうといい」

「ギルド?」

「農業専門の組合みたいなもんさ」

 おじさんは笑う。

「畑を見てもらえば原因が分かるかもしれない」

「農業の組合……」

 私は思わず口にする。

「JAみたいなものね」

「ジェーエー?」

「あ、ううん、何でもない」

 私は苦笑した。



◇◇◇



 ギルドは町の一番奥に建っていた。

 石造りの建物は重厚で、役場のような雰囲気がある。

 壁には蔦が絡まり、大きな木製の看板が掛かっていた。

 人の出入りは少なく、とても静かだ。

「ちょっと緊張するな」

 私は深呼吸をして扉を押す。

「こんにちは〜。お邪魔します〜」

 ギィ……。

 蝶番が静かに軋み、重たいガラス扉が開いた。

 中はひんやりとしている。

 受付の奥には書類が山積みになっていた。

 その机の向こうには、一人の男性が座っていた。

 黒髪をきちんと整えた青年。

 銀縁眼鏡の奥の瞳は静かで冷たく、隙がない。

 どこか近寄り難い空気をまとっている。

 彼は書類から顔を上げ、私を見た。

「どうされましたか?」

「あの……トマトを育てているんですが、うまくいかなくて……相談に来ました」

 私がそう答えると、彼は一瞬だけ考えるように目を伏せ、静かに立ち上がった。

「それでは、その畑を見に行きましょう」

 銀縁眼鏡を軽く押し上げる。

「案内してください」

 そう言って、彼は迷いなく受付の外へ歩き出した。