異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

「ヴェダー……」

 その生き物は、小さな両手でピザを抱えたまま私を見上げた。

 つぶらな黒い瞳。

 毬藻みたいに丸い身体。

 頭には一枚だけ、フキの葉によく似た葉っぱが揺れている。

 そして。

「上田?」

 首をこてんと傾げる。

「……ヴェダー」

 か細く甲高いその声。

 聞き間違えるはずがなかった。

 白樺の林で。

 井戸の近くで。

 店の二階で。

 夜中に何度も私を呼んでいた、あの不思議な声だった。

「あなたが……」

 私は思わず目を丸くする。

「ずっと私を呼んでいたの?」

「ヴェダー」

 返事なのかどうか分からない。

 でも小さく葉っぱを揺らした。

 その仕草が、どこか嬉しそうにも見える。

「もしかして……」

 皿を見る。

 最後の一切れだったピザ。

 パンが消えた朝。

 昨日の夜。

「パンを食べたのも、あなた?」

「ヴェダー!」

 元気よく返事をした。

 どうやら隠すつもりはないらしい。

 私は思わず苦笑した。

「やっぱりそうだったんだ」

 パン泥棒の正体は、この小さな子だった。

 怒る気持ちは、不思議と湧いてこない。

 それどころか、胸の中にあった得体の知れない恐怖が、すうっと消えていく。

 幽霊じゃなかった。

 化け物でもない。

 ちゃんと食いしん坊の正体がいたのだ。

「……あれ?」

 その時だった。

 キッチンカウンターの陰で何かがもぞもぞと動く。

 ひょこっ。

 また一匹。

 さらに、ひょこっ。

 もう一匹。

 続けて二匹。

 合計四匹の丸い生き物が、おずおずと姿を現した。

「えぇっ!」

 私は思わず声を上げる。

「一匹じゃなかったの?」

 物陰から、わらわらと現れる小さな緑色の丸い身体。

 全部で五匹。

 みんな頭には大きなフキの葉。

 細い手足を一生懸命動かして歩いてくる。

「ヴェダー」

「ヴェダー」

「ヴェダー」

 口々に鳴きながら、残っていたピザへ集まっていく。

 そして。

 まるで相談でもしたように、一切れを五等分にちぎり始めた。

「えっ」

 私は目を瞬かせる。

 ちゃんと分けるんだ。

 喧嘩しない。

 一匹が独り占めもしない。

 みんなで仲良く、小さな両手に持つ。

 そのまま隣のテーブルへぴょこんと飛び乗った。

 そして。

 もぐもぐ。

 むしゃむしゃ。

 一心不乱に食べ始める。

 チーズがびよーんと伸びる。

 トマトソースが口の周りへべったり付く。

「ヴェダー!」

「ヴェダー!」

 嬉しそうに身体を揺らしている。

 その姿があまりにも可愛らしくて、私は笑いを堪えられなかった。

「美味しい?」

「ヴェダー!」

「ヴェダー!」

 五匹揃って元気よく返事をする。

 意味は分からない。

 でもきっと「美味しい!」と言っているのだろう。

 ドワーフの青年たちも、呆然とその様子を眺めていた。

「なんだありゃ」

「初めて近くで見たぞ」

 一人が髭を掻きながら言う。

「この子たち、何?」

 私は青年たちへ尋ねた。

「知ってる?」

 青年たちは顔を見合わせる。

 そして一番年上らしい青年が答えた。

「ヴェダーだよ」

「ヴェダー?」

「森の奥に住む小人みたいな奴さ」

 腕を組んで続ける。

「人間が寝てる間にパンを盗んだり、洗濯物を隠したり、畑を荒らしたりな」

「いたずら好きで有名なんだ」

 隣の青年も苦笑する。

「厄介者さ」

「……そうなんだ」

 私は五匹を見る。

 ピザを食べ終わると、今度は皿に残ったチーズを小さな指で一生懸命集めている。

 夢中になり過ぎて、一匹が椅子からころんと転げ落ちた。

「ヴェッ」

 他の四匹が慌てて駆け寄る。

 みんなで身体を押して起こしてあげている。

「……」

 私は自然と笑顔になった。

 こんな子たちが、本当にそんな悪い子なんだろうか。

 もちろんパンは盗まれた。

 ピザも食べられた。

 でも。

 悪意は感じない。

 ただ、お腹が空いていただけ。

 そんな風にしか見えなかった。

「上田……」

 一匹が私を見上げる。

「ヴェダー」

「上田」

「ヴェダー」

 何度も繰り返す。

「……あ」

 私は思わず声を漏らした。

「似ているから?」

「ヴェダー!」

 葉っぱをぴこぴこ揺らす。

「上田」と「ヴェダー」。

 確かに響きが少し似ている。

 だから私を呼んでいたのだろうか。

 白樺林でも。

 店でも。

 ずっと。

 あれは怖がらせようとしていたんじゃない。

 私の名前を覚えようとしていただけなのかもしれない。

「もう」

 思わず笑ってしまう。

「怖がらせないでよ」

「ヴェダー」

 五匹揃って首を傾げる。

 悪気なんて少しもなさそうだった。

 私はゆっくりしゃがみ込む。

 五匹と目線が同じ高さになる。

 よく見ると、身体は苔のようにふわふわしていて、とても柔らかそうだ。

 大きな黒い瞳がじっと私を見つめている。

「こんにちは」

 私はにっこり笑った。

「よろしくね」

 すると五匹は顔を見合わせる。

 そして。

 頭のフキの葉をふわふわと左右へ揺らした。

「ヴェダー」

「ヴェダー」

「ヴェダー」

 意味は分からない。

 表情もほとんど変わらない。

 それでも。

 その小さな声は、どこか優しく聞こえた。

 店の中へ温かな空気が流れる。

 ドワーフの青年たちも肩をすくめて笑った。

「お嬢さんらしいな」

「普通なら追い払うのに」

「まあ、その子たちも気に入ったんだろう」

「椎木の家に人が戻るのを待ってたのかもしれん」

 私は店の中を見回した。

 この空き家。

 私が来る前は、ずっと誰も住んでいなかった。

 寂しい店だった。

 でも、その間ずっと、この子たちはここで暮らしていたのかもしれない。

 だったら。

 私が後から来た住人だ。

「これからは仲良く暮らそうね」

「ヴェダー!」

 五匹が一斉に葉っぱを揺らす。

 その横では、チョボが興味津々と近寄ってきた。

「コケッ?」

 一匹のヴェダーが恐る恐るチョボをつつく。

 チョボも首を傾げる。

 しばらく見つめ合ったあと、チョボは何事もなかったように「コッ」と鳴いた。

 その瞬間、ヴェダーたちは嬉しそうに飛び跳ねた。

 私は思わず吹き出す。

 こうしてヴェダー亭は、店の名前と同じ名を持つ五匹のヴェダーと、卵を産むチョボが暮らす、ますます賑やかな食堂酒場になったのだった。