見積もりには書けないもの

ねぇ……

森下さんを見つめた。

次の言葉が出ない。

いや……
何を言えばいいのか、わからない。

暫くの沈黙の後、
俺は無理矢理、逃げ場所を探した。

「リビングから、この壁見ていい?」

とんちんかんな言葉だった。

でも……
これしか浮かばなかった。

森下さんと俺は、
壁を挟んで向き合った。

もちろん、顔は見えない。

「どうしたの?急に」

森下さんが言った。

あの沈黙を見破られていることは分かっていた。

俺が逆の立場なら、
「意気地なし」
そう突っ込んでいただろう。

でも……
やっぱり言えなかった。

俺は、森下さんの「今」を守るために、
この壁を作った。

その俺が、
森下さんの「今」を壊すようなことをしていいのか。

いや……

びびってもいた。

惚れたもん負け。

そんな俺もいた。

壁越しに、
森下さんが話し始めた。

「ねー……なんか変な感じだね」

笑い声が響く。

「いつからかさ、
私たち、名前以外はフランクに話せるようになってるね」

少し間が空いた。

「最後に一個だけ、お願いしていい?」

「うん」

「クレームならやめてよ」

精一杯の返しをした。

「クスッ」

壁の向こうから笑い声が聞こえた。

「ねー……ゆうって呼んでいい?」

胸が、少しだけ跳ねた。

「今の私には原澤さんじゃないの。

もう……
ゆうでいて欲しいの」

言っちゃった……

壁の向こうで、
照れ笑いしているのが分かる。

「この壁を挟んでるから、
こんなこと言えるのかな」

「不思議だね……壁って」

「そうかもな」

俺は壁を見ながら言った。

「この壁が何かを守ってくれる。
この壁が何かを隠してくれる。

我ながら……
良いの作ったよ」

少し笑ってから、
壁の向こうへ投げかけた。

「で……
俺はなんて呼べばいい?」

少しの沈黙。

そして――

「美香って呼んでよ」

森下……美香。

確かに……

知らなかったな。

名前。

俺は恥ずかしさを誤魔化すように、
ふざけて呼んだ。

「ねー、美香ー」

「なに?」

「お茶持ってきて」

「もー、忙しいんだから。
ゆうがやりなよ」

テンポの良い返しが返ってきた。

思わず、
二人で笑い合った。

暫くこのまま、
たわいもない話が続いた。

いや……

続けていた。