「俺の彼女になってよ」
その言葉を聞いた瞬間、栞の頭の中は真っ白になった。
「……え?」
聞き間違いではない。
目の前にいる秀馬は、いつものぶっきらぼうな表情のまま、もう一度言った。
「だから、俺の彼女になって」
「…………」
心臓が、ドクン、ドクンと大きな音を立てる。
漫画の中で何度も見てきた推しメンから、とんでもないことを言われている。
「ちょ、ちょっと待って……」
「何だ」
「いや……ちょっと頭が追いつかない……」
栞はただただパニックで頭が追い付いていなかった。
そんな栞を見て秀馬は大笑いする。
「マジウケるわ!!」
「は?」
「そんなん冗談に決まってんだろ?俺だって選ぶ権利があるんだよ!」
笑いながら栞の頭をポンポンと叩く。
さすがに栞は許せなかった。
気づけば秀馬にビンタしていた。
「何すんだテメェ!」
殺意むき出しにする秀馬だったが、目に沢山の涙をためる栞を見て我に返った。
「人の気持ち…なんだと思ってるの…?」
「あ…ごめん…」
「私は本当に秀馬くんが好きだったのに…」
その瞬間だった。
視界がぐらりと揺れた。
「……あれ?」
足元から力が抜けていく。
「おい、どうした?」
「なんか……目の前が……」
次の瞬間。
身体が傾いた。
「おい!」
秀馬が咄嗟に腕を伸ばす。
その身体を支えたところへ――。
「栞!?」
教室に入ってきた麗美が駆け寄ってきた。
「どうしたの!?」
「急に倒れた」
「えっ……大丈夫!?」
麗美が栞の顔を覗き込む。
「栞、聞こえる?」
返事はない。
「保健室!」
「分かった」
秀馬は栞を抱き上げた。
「ちょ、秀馬!?」
「歩けないんだから仕方ないだろ」
「いや、それはそうだけど……」
「とにかく急ごう!」
こうして二人は、栞を保健室へ運ぶことになった。
♦
――暑い。
真っ青な空が、どこまでも続いている。
真っ青な空が少し薄暗くなろうとしている。
風もなくただ、静かだった。
「……ここ、どこ?」
栞は一人、青空の下に立っていた。
すると――。
キラッ。
一瞬、空の上で何かが光った。
「……?」
目を凝らす。
空から、雪のような小さな粒が舞い降りてきていた。
雪のようにも見える。
けれど、夏の青空から雪が降るはずがない。
透明な粒は、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
「綺麗……」
栞は手を伸ばした。
一粒が、手のひらに落ちる。
けれど光の粒はすぐに消えてしまった――。
「……え?」
手のひらには何も残っていない。
もう一度空を見る。
光の粒は、まるで何事もなかったかのように消えていた。
♦
「……ん……」
ゆっくりと瞼を開けると、目に飛び込んできたのは白い天井だった。
鼻をくすぐる消毒液の匂い。学校の保健室のベッドの上だ。
「栞! 気がついた!?」
ベッドの脇から覗き込んできたのは、心配そうに眉を下げた麗美だった。
そしてその少し後ろ、壁に背中を預けて腕を組み、気まずそうに明後日の方向を向いている秀馬の姿があった。
彼の右手には、栞の通学カバンが握られている。
「ここ……?」
「保健室」
「麗美ちゃん……?」
「よかった! 目覚めた!」
麗美がホッとしたように息を吐く。
「急に倒れるんだから、びっくりしたよ」
「私……倒れたんだ」
「うん。秀馬が支えてくれた」
「秀馬が……」
その名前を聞いた途端。
「……!」
さっきの出来事を思い出し、栞は複雑な感情になった。
そんな栞に秀馬は深々と頭を下げて謝罪した。
「さっきはごめん!」
突然だったので、栞と麗美は2人して驚いた。
栞は秀馬のさっきの発言に傷ついたものの、素直に謝ってくれる姿勢に怒りと悲しみはなくなってしまった。
「推しメンの秀馬くんはここにはいないけど、推しメンのこれまでに見たことがないレアな秀馬くんもやっぱり好き!」
「でも、あくまでも推しの好きだから彼女にはなれません」
栞は真剣に返事をするが、今度は茶化さずに受け入れる秀馬。
「さっきは…本当に悪かった…」
栞と秀馬の会話に麗美はついていけなかったが、仲直りをする2人を微笑ましく見守っていた。
「ところでなんで倒れたの?少し熱っぽい感じもするけど」
麗美に言われて栞は考える。
「そういえば……昨日若干寒かったんだよね」
もうすぐ夏に突入する季節にも関わらず、暖房をつけて寝るほどの気温だったのだ。
「うん。夏だから暑いと思ってたのに、夜になったら妙に寒くて」
栞は布団を少し引き上げながら苦笑した。
「寝冷えしたのかな。熱が上がったのも、そのせいかもしれない」
「でも昨日って、夏にしては変な気温だったよね」
麗美も思い出したように言う。
「うん。猛暑っていう感じじゃなかった。どちらかというと……」
「冬みたいだった」
栞が続ける。
「そう、それ」
ただの寝冷え。
そう考えれば、それだけの話だ。
そして、栞はさっき見た夢をふと思い出す。
「そう言えばさっき、変な夢を見てた」
栞は先ほどの夢について話した。
真っ青な空。
そこから舞い降りてきた、キラキラした光の粒。
手のひらに乗った瞬間、消えてしまったこと。
「……綺麗だった」
最後にそう呟く。
麗美は微笑んだ。
「なんか幻想的な夢だね」
「うん……」
ところが。
秀馬は笑わなかった。
「……光の粒?」
「うん」
「どんな感じだった?」
「透明で、キラキラしてて……雪みたいだった。でも冷たくなくて、触ったら消えた」
秀馬はしばらく黙っていた。
そして、低い声で言った。
「……俺の世界の技の残り香だ」
「え?」
「技の……残り香?」
麗美も驚く。
「俺の世界では、妖怪や死神が力を使った後、その力が消えずに周囲へ残ることがある」
「じゃあ、あの光は……?」
「断定はできない」
秀馬は窓の外を見る。
「だが、普通の現象ではない」
「……」
栞は黙り込んだ。
「保険の先生が、目が覚めたらもう帰ってもいいって言ってたよ。歩けそう?」
麗美は栞の体調を心配していた。
「ありがとう。少し横になったらだいぶ落ち着いたよ」
「そろそろ帰ろうか」
薄暗くなりかけているオレンジ色の空を見る栞だったが、その光景に何やら異変を感じた。
「……あれ?」
オレンジ色に染まった夕暮れの空と雲がいつもと違って見える。
「どうしたの?」
麗美も気になって空を見ると、やはり様子がおかしかった。
「なにあれ…」
通常の雲であれば、滑らかなグラデーションを描いて暗くなっていくはずだった。
しかし、その雲の影は、まるで規則正しいドットの集合体──漫画のスクリーントーンを貼り付けたかのような、幾何学的な模様を描いていた。
それだけではない。雲の輪郭線が、まるでGペンで太く描き出されたインクのタッチのように、くっきりと濃い黒で縁取られている。
「漫画のスクリーントーン……見てるみたい」
栞が呟いた。
「……インクで描いたみたいな空」
麗美も目を丸くする。
「本当だ……」
秀馬は何も言わずただ、雲をじっと見つめている。
「秀馬?」
「……俺の世界に似てる」
「え?」
栞の背中に、ぞくりとしたものが走った。
秀馬が漫画から飛び出したことと関係しているのだろうか。
夕暮れの空に浮かぶ奇妙な雲。
それはしばらくすると、何事もなかったかのように普通の雲へ戻っていった。
♦
数日後。
「ねえ、これ見た?」
教室で麗美がスマートフォンを差し出してきた。
「何?」
「この前の雲!」
画面には、一枚の写真が映っていた。
夕暮れの空。
そして、幾何学的な陰影を持った奇妙な雲。
「『珍しい雲を見つけた』って投稿した人がいて、それがめちゃくちゃバズってる」
「本当だ……」
コメント欄には、
『CGみたい』
『合成写真?』
『こんな雲初めて見た』
『漫画の背景みたいで綺麗』
『不思議すぎる』
そんな言葉が並んでいる。
「みんな珍しい雲だと思ってるんだね」
「まあ、普通はそう思うよね」
クラス中でも話題になっていたが、レアな風景に、幸運の待ち受けとして持っている人も多かった。
明るい方面で話題になっていたが、栞と麗美ににとっては不思議な現象としての印象が強かった。
秀馬の言葉。
『俺の世界の技の残り香だ』
あの言葉と雲の現象。
そして、秀馬も様子もいつもと違っていた。
ただひたすら沈黙を貫く秀馬。
きっと彼が一番戸惑っているのだろう。
栞は思った。
これからどうなるんだろうと。
秀馬が漫画から飛び出してきたのは何か理由があるのだろう。
栞はその理由を突き止めたいと思うようになっていくのだった。
その言葉を聞いた瞬間、栞の頭の中は真っ白になった。
「……え?」
聞き間違いではない。
目の前にいる秀馬は、いつものぶっきらぼうな表情のまま、もう一度言った。
「だから、俺の彼女になって」
「…………」
心臓が、ドクン、ドクンと大きな音を立てる。
漫画の中で何度も見てきた推しメンから、とんでもないことを言われている。
「ちょ、ちょっと待って……」
「何だ」
「いや……ちょっと頭が追いつかない……」
栞はただただパニックで頭が追い付いていなかった。
そんな栞を見て秀馬は大笑いする。
「マジウケるわ!!」
「は?」
「そんなん冗談に決まってんだろ?俺だって選ぶ権利があるんだよ!」
笑いながら栞の頭をポンポンと叩く。
さすがに栞は許せなかった。
気づけば秀馬にビンタしていた。
「何すんだテメェ!」
殺意むき出しにする秀馬だったが、目に沢山の涙をためる栞を見て我に返った。
「人の気持ち…なんだと思ってるの…?」
「あ…ごめん…」
「私は本当に秀馬くんが好きだったのに…」
その瞬間だった。
視界がぐらりと揺れた。
「……あれ?」
足元から力が抜けていく。
「おい、どうした?」
「なんか……目の前が……」
次の瞬間。
身体が傾いた。
「おい!」
秀馬が咄嗟に腕を伸ばす。
その身体を支えたところへ――。
「栞!?」
教室に入ってきた麗美が駆け寄ってきた。
「どうしたの!?」
「急に倒れた」
「えっ……大丈夫!?」
麗美が栞の顔を覗き込む。
「栞、聞こえる?」
返事はない。
「保健室!」
「分かった」
秀馬は栞を抱き上げた。
「ちょ、秀馬!?」
「歩けないんだから仕方ないだろ」
「いや、それはそうだけど……」
「とにかく急ごう!」
こうして二人は、栞を保健室へ運ぶことになった。
♦
――暑い。
真っ青な空が、どこまでも続いている。
真っ青な空が少し薄暗くなろうとしている。
風もなくただ、静かだった。
「……ここ、どこ?」
栞は一人、青空の下に立っていた。
すると――。
キラッ。
一瞬、空の上で何かが光った。
「……?」
目を凝らす。
空から、雪のような小さな粒が舞い降りてきていた。
雪のようにも見える。
けれど、夏の青空から雪が降るはずがない。
透明な粒は、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
「綺麗……」
栞は手を伸ばした。
一粒が、手のひらに落ちる。
けれど光の粒はすぐに消えてしまった――。
「……え?」
手のひらには何も残っていない。
もう一度空を見る。
光の粒は、まるで何事もなかったかのように消えていた。
♦
「……ん……」
ゆっくりと瞼を開けると、目に飛び込んできたのは白い天井だった。
鼻をくすぐる消毒液の匂い。学校の保健室のベッドの上だ。
「栞! 気がついた!?」
ベッドの脇から覗き込んできたのは、心配そうに眉を下げた麗美だった。
そしてその少し後ろ、壁に背中を預けて腕を組み、気まずそうに明後日の方向を向いている秀馬の姿があった。
彼の右手には、栞の通学カバンが握られている。
「ここ……?」
「保健室」
「麗美ちゃん……?」
「よかった! 目覚めた!」
麗美がホッとしたように息を吐く。
「急に倒れるんだから、びっくりしたよ」
「私……倒れたんだ」
「うん。秀馬が支えてくれた」
「秀馬が……」
その名前を聞いた途端。
「……!」
さっきの出来事を思い出し、栞は複雑な感情になった。
そんな栞に秀馬は深々と頭を下げて謝罪した。
「さっきはごめん!」
突然だったので、栞と麗美は2人して驚いた。
栞は秀馬のさっきの発言に傷ついたものの、素直に謝ってくれる姿勢に怒りと悲しみはなくなってしまった。
「推しメンの秀馬くんはここにはいないけど、推しメンのこれまでに見たことがないレアな秀馬くんもやっぱり好き!」
「でも、あくまでも推しの好きだから彼女にはなれません」
栞は真剣に返事をするが、今度は茶化さずに受け入れる秀馬。
「さっきは…本当に悪かった…」
栞と秀馬の会話に麗美はついていけなかったが、仲直りをする2人を微笑ましく見守っていた。
「ところでなんで倒れたの?少し熱っぽい感じもするけど」
麗美に言われて栞は考える。
「そういえば……昨日若干寒かったんだよね」
もうすぐ夏に突入する季節にも関わらず、暖房をつけて寝るほどの気温だったのだ。
「うん。夏だから暑いと思ってたのに、夜になったら妙に寒くて」
栞は布団を少し引き上げながら苦笑した。
「寝冷えしたのかな。熱が上がったのも、そのせいかもしれない」
「でも昨日って、夏にしては変な気温だったよね」
麗美も思い出したように言う。
「うん。猛暑っていう感じじゃなかった。どちらかというと……」
「冬みたいだった」
栞が続ける。
「そう、それ」
ただの寝冷え。
そう考えれば、それだけの話だ。
そして、栞はさっき見た夢をふと思い出す。
「そう言えばさっき、変な夢を見てた」
栞は先ほどの夢について話した。
真っ青な空。
そこから舞い降りてきた、キラキラした光の粒。
手のひらに乗った瞬間、消えてしまったこと。
「……綺麗だった」
最後にそう呟く。
麗美は微笑んだ。
「なんか幻想的な夢だね」
「うん……」
ところが。
秀馬は笑わなかった。
「……光の粒?」
「うん」
「どんな感じだった?」
「透明で、キラキラしてて……雪みたいだった。でも冷たくなくて、触ったら消えた」
秀馬はしばらく黙っていた。
そして、低い声で言った。
「……俺の世界の技の残り香だ」
「え?」
「技の……残り香?」
麗美も驚く。
「俺の世界では、妖怪や死神が力を使った後、その力が消えずに周囲へ残ることがある」
「じゃあ、あの光は……?」
「断定はできない」
秀馬は窓の外を見る。
「だが、普通の現象ではない」
「……」
栞は黙り込んだ。
「保険の先生が、目が覚めたらもう帰ってもいいって言ってたよ。歩けそう?」
麗美は栞の体調を心配していた。
「ありがとう。少し横になったらだいぶ落ち着いたよ」
「そろそろ帰ろうか」
薄暗くなりかけているオレンジ色の空を見る栞だったが、その光景に何やら異変を感じた。
「……あれ?」
オレンジ色に染まった夕暮れの空と雲がいつもと違って見える。
「どうしたの?」
麗美も気になって空を見ると、やはり様子がおかしかった。
「なにあれ…」
通常の雲であれば、滑らかなグラデーションを描いて暗くなっていくはずだった。
しかし、その雲の影は、まるで規則正しいドットの集合体──漫画のスクリーントーンを貼り付けたかのような、幾何学的な模様を描いていた。
それだけではない。雲の輪郭線が、まるでGペンで太く描き出されたインクのタッチのように、くっきりと濃い黒で縁取られている。
「漫画のスクリーントーン……見てるみたい」
栞が呟いた。
「……インクで描いたみたいな空」
麗美も目を丸くする。
「本当だ……」
秀馬は何も言わずただ、雲をじっと見つめている。
「秀馬?」
「……俺の世界に似てる」
「え?」
栞の背中に、ぞくりとしたものが走った。
秀馬が漫画から飛び出したことと関係しているのだろうか。
夕暮れの空に浮かぶ奇妙な雲。
それはしばらくすると、何事もなかったかのように普通の雲へ戻っていった。
♦
数日後。
「ねえ、これ見た?」
教室で麗美がスマートフォンを差し出してきた。
「何?」
「この前の雲!」
画面には、一枚の写真が映っていた。
夕暮れの空。
そして、幾何学的な陰影を持った奇妙な雲。
「『珍しい雲を見つけた』って投稿した人がいて、それがめちゃくちゃバズってる」
「本当だ……」
コメント欄には、
『CGみたい』
『合成写真?』
『こんな雲初めて見た』
『漫画の背景みたいで綺麗』
『不思議すぎる』
そんな言葉が並んでいる。
「みんな珍しい雲だと思ってるんだね」
「まあ、普通はそう思うよね」
クラス中でも話題になっていたが、レアな風景に、幸運の待ち受けとして持っている人も多かった。
明るい方面で話題になっていたが、栞と麗美ににとっては不思議な現象としての印象が強かった。
秀馬の言葉。
『俺の世界の技の残り香だ』
あの言葉と雲の現象。
そして、秀馬も様子もいつもと違っていた。
ただひたすら沈黙を貫く秀馬。
きっと彼が一番戸惑っているのだろう。
栞は思った。
これからどうなるんだろうと。
秀馬が漫画から飛び出してきたのは何か理由があるのだろう。
栞はその理由を突き止めたいと思うようになっていくのだった。
