君の声

 朝、カーテンから差し込む光の眩しさと鼻孔をくすぐる匂いにゆっくりと意識が浮上する。
「……ん」
 ぼんやり目を開ける。無意識にかき寄せた隣の温もりが……ない。
「……詩織?」
 思わず体を起こしたその時だった。
「あ、やっと起きた」
 キッチンから詩織がひょいと顔を出した。
「……いた」
 思わず呟くと、詩織が笑いながらこちらに向かってくる。
「いるよ。」
 その手を掴んで引き寄せる。
「わっ」
 そのまま腕の中に閉じ込め、肩へ顔を埋めた。
(まじで、いなくなったかと思った……)
「もう、樹くん」
 くすぐったそうに笑う声が耳元で弾む。ゆっくりと髪を撫でられる感覚が心地いい。
「ほら、起きて」
「……まだ充電中」
「昨日もしてたじゃん」
「もうゼロ。」
「もう」
 詩織が小さく息をつくのが分かる。抱きしめる腕に少しだけ力を込める。
「もう少しだけ」
「だーめ!朝早いんでしょ。朝ごはん、作ったから一緒に食べよ?」
 そう言って俺の腕から抜け出し、詩織はキッチンへ戻っていく。エプロンを外すその背中を見ながら俺は観念してベッドから起き上がった。
「……いい匂い」
 ベッドから降りて伸びをすると、テーブルには朝食が並んでいた。
「これ、詩織が?」
「うん。勝手に冷蔵庫開けちゃった」
「それはいいんだけど、すごいな」
「大げさだよ」
 照れくさそうに笑う詩織を見ているだけで、胸が温かくなる。
「いただきます」
 二人で向かい合って座って手を合わせる。
「……うま」
 一口食べるなり声が漏れた。詩織は「焼いただけだよ」なんて笑ってる。一緒に朝ごはんを食べてるだけなのに、不思議なくらい幸せだった。
 食べ終わると二人並んであと片づけをする。
「樹くん」
「ん?」
「今日、頑張ってね」
 横を見ると、詩織が優しく笑っていた。
「応援、行くね」
「……おう」
 その一言だけで十分だった。勝ちたいとか、かっこいいところ見せたいとか。ないと言えば噓だけど、それより詩織が見てくれる。それが何よりの原動力だった。
 支度を終え、二人で部屋を出る。詩織の手をそっと繋いだ。詩織も握り返してくれる。そのまま手を繋いで駅まで歩いた。
「じゃあ、一回帰ってくるね」
「うん。またあとで」
「試合、頑張ってね」
「任せろ。終わったらどっか行こうな」
 改札へ向かう詩織が振り返り、小さく手を振る。俺も振り返す。
 あの頃の俺は、それが当たり前の日常だと信じて疑わなかった。