君の声

 夏が近づく頃には、樹くんはさらに忙しくなった。
 電話はしてくれるけど、短かったり、時間が遅かったり。声も少し疲れているような気がして、私から切り上げることもあった。
『今度、夏フェスやるんだ。よかったら来てよ』
 そう言っていた。準備に忙しいのだと。それから少しして、久しぶりに休みが合って樹くんに会えた。一緒にご飯を食べて、樹くんの家へ行く。
 玄関のドアが閉まると同時に樹くんの腕の中に閉じ込められる。
「久しぶりの詩織だぁ」
「ちょ、樹くん……」
「充電」
「……何それ」
「詩織不足」
 思わず笑ってしまう。
 久しぶりに触れる樹くんの温もりに、張りつめていた心がゆっくりほどけていく。
 この人の腕の中が、私は一番安心できた。
「……最近忙しくて、なかなか時間取れなくてごめん。」
 私の肩に顔を埋めたまま、樹くんがぽつりと呟く。
「……ううん、大丈夫。樹くんが頑張ってるの、分かってるよ」
 抱き返しながらそう答えると、腕に少しだけ力がこもった。
「——好きだよ」
 耳元で囁かれたその一言に、思わずぴくりと肩が震えた。その反応を腕越しに感じ取った樹くんがくすりと笑う。
「……かわいい反応」
「……うるさい」
 思わず目が合って笑い合う。この時間がずっと続けばいいのにと願う。
「適当に座ってて。喉乾いたでしょ」
 キッチンに向かう背中を見送り、部屋を見渡す。チェストの上に並べられた写真立てが目に入った。
(前に来た時より増えてる)
 高校の文化祭、卒業式、二人で出かけた日の一枚。どれも大切な思い出ばかりだった。その中の一枚に視線が止まる。サークルの集合写真だった。樹くんはたくさんの仲間に囲まれて笑っている。その中の樹くんの隣で笑っている女の子。
(こんなに女の子がいるんだ……)
 サークルなんだから、当たり前なのに。
 樹くんは誰とでも仲良くなれる人だ。
 高校の頃からそれは変わらない。
 ……わかってる。
 分かってるのに、胸の奥が少しだけ苦しかった。
「はい、お待たせー」
 ジュースを持って樹くんが戻ってくる。ローテーブルにコップを置くと後ろからそっと抱きしめられた。
「何見てた?」
 背中越しに聞こえる声に、樹くんの腕にそっと触れて振り返る。
「写真、増えたね」
 そう言うと、樹くんは嬉しそうに笑った。
「あぁ、サークルのやつ。この前の地域イベントの打ち上げの時に撮ったんだ。こっちは」
 楽しそうに話す樹くんの声を聞きながら、私は添えた手で少しだけその腕を掴む。
「これだけは、一人暮らし始める時に絶対持ってくって決めてた」
 そう言って樹くんが手に取ったのは二人で撮った一枚の写真だった。高校の文化祭の日。まだ制服を着ていて、少し緊張しながら撮った一枚。
「懐かしいね」
 私が笑うと、樹くんも写真を見ながら頷いた。
「この時さ、詩織めちゃくちゃ緊張してたよな」
「樹くんが変なポーズしようとするからでしょ」
「え、俺のせい?」
 わざとらしく驚く樹くんに、思わず笑ってしまう。こういう時間が好きだった。高校の頃から変わらない、樹くんといる時間。大学に進んで、環境が変わって、会える時間が減っても。私たちは何も変わっていないと思っていた。
「でもさ」
 樹くんが写真を眺めながら呟いた。
「大学入ってから、なんか毎日忙しいけど、新鮮なんだよな」
「うん」
「イベント作ったり、知らない人と関わったり。高校の時とは全然違う感じがする。」
 嬉しそうに話す樹くんを見る。
「詩織も、最近どう?大学の方」
「楽しいよ。新しく音響のことを勉強できてるし」
「そっか」
 そう言って笑う樹くん。
 お互いの世界が広がっていく。
 それは本当なら嬉しいことだった。
 だけど。
 ほんの少しだけ。
 その広がった世界の中に、私はちゃんといるのかな。
 そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。