君の声

 藤川はゆっくりと樹を見た。
「白石は、佐野さんを責めたことは一度もありませんでした。むしろ。」
 少しだけ苦笑する。
「全部、自分が悪いって言う人でした。お二人が別れたあともです。」
 樹は黙ったまま耳を傾ける。
「ゼミで恋人の話になっても、白石は決して佐野さんの悪口は言いませんでした。」
 『樹くん、忙しい人だから』
 『今も頑張ってると思います』
 そう言って笑うだけでした。その笑顔が、本心だったのか、無理をしていたのか。僕には分かりません。ただ……別れても、白石が佐野さんを嫌いになったようにはどうしても見えなかった。むしろ今も大切に想ってるんじゃないか。そう思ったことがあります。」
 樹はゆっくりと視線を上げる。
「……どうして、そう言い切れるんですか」
 藤川は少しだけ息を吐いた。
「一本の電話があったからです。」
 その言葉に樹の表情が僅かに変わる。
「電話……?」
「別れて一カ月くらい経った頃でした。ゼミの飲み会があったんです。」
 懐かしむように少しだけ目を細める。
「白石は席を外していました。そのとき、机の上で白石の携帯が鳴ったんです。」
 樹の表情がまた僅かに変わる。
「画面には『樹くん』って表示されていました。」
 藤川は自嘲気味に笑う。
「出るつもりなんてありませんでした。……本当に。」
 少し間を置く。
「でも、その名前を見た瞬間。白石があれだけ大切そうに話していた人なんだって思ったら……。」
「気が付いたら、電話を取っていました。」
 樹は静かに藤川を見つめている。
「少し間があって……」
 
 『……詩織?』
 
「その声は今でも覚えています。優しくて。少し緊張していて。何かを決意したような声でした。」
 藤川はゆっくりと続ける。
「でも、僕は。」
 自分を責めるように笑う。
「最低でした。」

 『いま、いないけど』
 『……あんた、誰?』

「電話の向こうの声に、僕は……」

 『詩織の恋人です』

「そう嘘をつきました。」
 店内の空気が静まり返る。
「もちろん、そんな事実はありません。ただ……嫉妬したんです。別れたはずなのに。白石はまだあなたを想っていた。あなたがまだ白石を大切に想っていることに気づいてしまったから。」
 藤川は視線を落とす。
「そして」

 『もう彼女に関わらないでください』

「そう言いました。」
「……。」
「僕は相手の返事も聞かずに電話を切りました。」
 藤川の声がわずかに震える。樹は記憶をたどる。
 確かに、電話した。どうしてももう一度話がしたくて。でも電話に出たのは知らない男の声。
「——なんで」