会社を出ると夕暮れの街は仕事帰りの人で賑わっていた。約束の喫茶店へ向かう。ガラス越しに店内を覗くと、窓際の席でコーヒーを飲む藤川が樹に気付き、小さく手を挙げた。
「お待たせしました」
「いえ、こちらこそ。お呼び出ししてすみません。」
樹もコーヒーを注文すると、藤川の向かいに腰を下ろした。
「……それでお話とは?」
樹の問いに藤川はカップを持ち上げかけた手を止める。
「その前に一つだけ確認させてください。」
「はい。」
「この間、白石と一緒にいらっしゃいましたよね?」
「ええ」
「失礼ですが、お二人はどういうご関係なんですか?」
思いがけない質問に、樹は少しだけ目を瞬かせた。
「仕事仲間です」
少し間を置いて続ける。
「今は、水族館イベントを一緒に担当しています」
藤川は「そうですか」とだけ答え、コーヒーを一口飲み、視線を樹に戻す。
「もう一つだけ」
「はい。」
「佐野さんは、白石の記憶のことをどこまでご存じですか?」
樹は少しだけ考え、答えた。
「事故のことは聞いています。」
藤川は静かに首を横へ振る。
「事故だけではありません。」
「……」
「事故によって失った記憶のことです」
この男は何を知っているのだろうか。自分と詩織が過去に交際していたことも知っているのだろうか。樹は探るように藤川を見つめた。
「知っています。」
「そうですか」
「けど、俺のことだけ思い出せてないことも知っています。」
樹の言葉に藤川は僅かに目を見開く。
「そこまでご存じでしたか。」
「……何が仰りたいんですか?」
樹は怪訝そうに問い返す。店内に短い沈黙が流れる。窓の外では仕事帰りの人たちが足早に行き交っていた。やがて藤川はゆっくりと口を開く。
「佐野さん」
「はい」
「あなたは高校時代の白石を知っている。」
樹は黙って耳を傾ける。
「僕は……佐野さんの知らない大学時代の白石の話をしたいです」
樹のコーヒーカップにかけた手が止まる。
「僕は、お二人が別れたあとの白石を一番近くで見ていました。」
藤川は静かに樹を見つめる。
「だから、その頃の白石のことを、あなたには知っておいてほしいんです。」
短い沈黙が流れる。
「……どうして、俺に」
樹が静かに尋ねる。藤川は少しだけ目を伏せ、小さく笑った。
「この間のお二人を見たからです。白石、本当に楽しそうでした。大学でもあんなふうに笑って、みんなの中心にいるような子でした。でも——」
そこで言葉を切る。
「別れたあと、一時期だけ、笑顔が消えたことがあるんです」
樹の指先が、カップを持つ手にわずかに力を込めた。
「……。」
「ゼミのみんなは、就活のストレスだとか、課題が忙しいからだとか言っていました。でも、俺にはそう見えなかった」
藤川はゆっくりとコーヒーを口にする。
「白石は、何かを引きずっていました。それが佐野さんのことだったのかは、本人は最後まで話しませんでしたけど。」
樹は目を伏せる。藤川は懐かしむように目を細めた。
「お待たせしました」
「いえ、こちらこそ。お呼び出ししてすみません。」
樹もコーヒーを注文すると、藤川の向かいに腰を下ろした。
「……それでお話とは?」
樹の問いに藤川はカップを持ち上げかけた手を止める。
「その前に一つだけ確認させてください。」
「はい。」
「この間、白石と一緒にいらっしゃいましたよね?」
「ええ」
「失礼ですが、お二人はどういうご関係なんですか?」
思いがけない質問に、樹は少しだけ目を瞬かせた。
「仕事仲間です」
少し間を置いて続ける。
「今は、水族館イベントを一緒に担当しています」
藤川は「そうですか」とだけ答え、コーヒーを一口飲み、視線を樹に戻す。
「もう一つだけ」
「はい。」
「佐野さんは、白石の記憶のことをどこまでご存じですか?」
樹は少しだけ考え、答えた。
「事故のことは聞いています。」
藤川は静かに首を横へ振る。
「事故だけではありません。」
「……」
「事故によって失った記憶のことです」
この男は何を知っているのだろうか。自分と詩織が過去に交際していたことも知っているのだろうか。樹は探るように藤川を見つめた。
「知っています。」
「そうですか」
「けど、俺のことだけ思い出せてないことも知っています。」
樹の言葉に藤川は僅かに目を見開く。
「そこまでご存じでしたか。」
「……何が仰りたいんですか?」
樹は怪訝そうに問い返す。店内に短い沈黙が流れる。窓の外では仕事帰りの人たちが足早に行き交っていた。やがて藤川はゆっくりと口を開く。
「佐野さん」
「はい」
「あなたは高校時代の白石を知っている。」
樹は黙って耳を傾ける。
「僕は……佐野さんの知らない大学時代の白石の話をしたいです」
樹のコーヒーカップにかけた手が止まる。
「僕は、お二人が別れたあとの白石を一番近くで見ていました。」
藤川は静かに樹を見つめる。
「だから、その頃の白石のことを、あなたには知っておいてほしいんです。」
短い沈黙が流れる。
「……どうして、俺に」
樹が静かに尋ねる。藤川は少しだけ目を伏せ、小さく笑った。
「この間のお二人を見たからです。白石、本当に楽しそうでした。大学でもあんなふうに笑って、みんなの中心にいるような子でした。でも——」
そこで言葉を切る。
「別れたあと、一時期だけ、笑顔が消えたことがあるんです」
樹の指先が、カップを持つ手にわずかに力を込めた。
「……。」
「ゼミのみんなは、就活のストレスだとか、課題が忙しいからだとか言っていました。でも、俺にはそう見えなかった」
藤川はゆっくりとコーヒーを口にする。
「白石は、何かを引きずっていました。それが佐野さんのことだったのかは、本人は最後まで話しませんでしたけど。」
樹は目を伏せる。藤川は懐かしむように目を細めた。
