ナレーションの本番は予定通りすべての収録を終えた。スタジオの中に漂っていた緊張はゆっくりと解けていく。スタッフが機材を片付け始める中、樹は一度だけ詩織の録音データを確認し、それを閉じた。
「……これでひと段落ですね」
広瀬が伸びをしながら言う。
「ああ」
樹は短く返した。だが、まだ終わりではない。
その後は、イベント会場となる水族館へ向かった。イベント当日の導線確認のためだ。一通りスタッフと確認を終え、バックヤードから外の空気を吸いに館外へ出る。
「ん?」
ふと耳に何かが引っかかった。聞き馴染みのある乾いた音。トン、トン、と一定のリズムで跳ねる音に子どもたちのはしゃぐ声が混じる。気になって足を向けると、水族館の裏手にある小さな広場が見えた。
「おっ」
思わず樹の顔に笑みが浮かぶ。そこでは数人の子どもたちがバスケットボールを追いかけていた。
「いけいけ!」「パス!パス!」
必死にボールを追う姿を、樹はしばらく眺めていた。
そのうちボールが勢い余って転がってくる。
「あっ!」
飛び出してきたボールを樹は反射的に足元で止めた。
「悪い!兄ちゃん!」
「はいよ」
樹は軽く笑いながらボールを拾い上げる。
「でも、その投げ方だと取られやすいぞ?」
「え?」
「こうやって——」
試しに軽くパスを返す。
「おお!」
子どもたちの目が一気に輝く。
「兄ちゃん、バスケできるの?」
「ちょっとだけな」
「じゃあ一緒にやろう!」
「え、俺?」
「やろうよ!」
断る間もなく腕を引っ張られて、樹は苦笑した。
「はいはい。少しだけな」
気づけば自然に輪の中に入っていた。
◇
「佐野さん、どこだろう」
詩織は辺りを見回していた。さっきまで一緒にいたはずなのに、いつの間にか姿が見えなくなっていたのだ。
「うまいぞ!」
遠くから聞き覚えのある声がして詩織はそちらへ向かう。音を頼りにイベント会場の裏手を覗くと、広場では子どもたちの歓声が響いていた。
バスケットボールがコートを跳ねる乾いた音。笑い声。そしてその輪の中には樹がいた。シャツの袖を無造作に捲り上げ、子どもたちと同じように走っている。
「ほら、パス!」
軽く投げられたボールを樹は自然に受け取る。そのまま一歩踏み込み、ふわりとシュートを放つ。描かれた弧が綺麗にリングを抜けた。
「おおー!」「兄ちゃん、すげぇ!」
子どもたちが一斉に歓声を上げる。樹も楽しそうに笑っていた。
少し離れた場所でその光景を詩織は静かに見つめる。
(……楽しそう)
無邪気に笑う子どもたちに囲まれて、自然に笑っている樹。普段、仕事で見る顔とは少し違う。シャツの袖を捲った腕、走って、笑って、軽く髪をかき上げる仕草。その何気ない姿をみた瞬間——胸がほんの少しざわついた。
(あれ、なんだろう。どこかでこんな光景見た気がする。)
ほんの一瞬、何かが頭の奥を掠めた。
笑い声、眩しい日差し、誰かの後ろ姿。
掴もうとした瞬間には、霧がかかったみたいにぼやけてしまう。
(何でこんなに懐かしいの……)
胸の奥が落ち着かない。思い出せそうなのに、あと少しのところで届かない。何か大切なものがすぐそこにある気がして、詩織は無意識に樹から目を逸らした。子どもたちの歓声を背中に聞きながら、詩織は静かにその場を離れる。
胸のざわめきだけが消えなかった。
「……これでひと段落ですね」
広瀬が伸びをしながら言う。
「ああ」
樹は短く返した。だが、まだ終わりではない。
その後は、イベント会場となる水族館へ向かった。イベント当日の導線確認のためだ。一通りスタッフと確認を終え、バックヤードから外の空気を吸いに館外へ出る。
「ん?」
ふと耳に何かが引っかかった。聞き馴染みのある乾いた音。トン、トン、と一定のリズムで跳ねる音に子どもたちのはしゃぐ声が混じる。気になって足を向けると、水族館の裏手にある小さな広場が見えた。
「おっ」
思わず樹の顔に笑みが浮かぶ。そこでは数人の子どもたちがバスケットボールを追いかけていた。
「いけいけ!」「パス!パス!」
必死にボールを追う姿を、樹はしばらく眺めていた。
そのうちボールが勢い余って転がってくる。
「あっ!」
飛び出してきたボールを樹は反射的に足元で止めた。
「悪い!兄ちゃん!」
「はいよ」
樹は軽く笑いながらボールを拾い上げる。
「でも、その投げ方だと取られやすいぞ?」
「え?」
「こうやって——」
試しに軽くパスを返す。
「おお!」
子どもたちの目が一気に輝く。
「兄ちゃん、バスケできるの?」
「ちょっとだけな」
「じゃあ一緒にやろう!」
「え、俺?」
「やろうよ!」
断る間もなく腕を引っ張られて、樹は苦笑した。
「はいはい。少しだけな」
気づけば自然に輪の中に入っていた。
◇
「佐野さん、どこだろう」
詩織は辺りを見回していた。さっきまで一緒にいたはずなのに、いつの間にか姿が見えなくなっていたのだ。
「うまいぞ!」
遠くから聞き覚えのある声がして詩織はそちらへ向かう。音を頼りにイベント会場の裏手を覗くと、広場では子どもたちの歓声が響いていた。
バスケットボールがコートを跳ねる乾いた音。笑い声。そしてその輪の中には樹がいた。シャツの袖を無造作に捲り上げ、子どもたちと同じように走っている。
「ほら、パス!」
軽く投げられたボールを樹は自然に受け取る。そのまま一歩踏み込み、ふわりとシュートを放つ。描かれた弧が綺麗にリングを抜けた。
「おおー!」「兄ちゃん、すげぇ!」
子どもたちが一斉に歓声を上げる。樹も楽しそうに笑っていた。
少し離れた場所でその光景を詩織は静かに見つめる。
(……楽しそう)
無邪気に笑う子どもたちに囲まれて、自然に笑っている樹。普段、仕事で見る顔とは少し違う。シャツの袖を捲った腕、走って、笑って、軽く髪をかき上げる仕草。その何気ない姿をみた瞬間——胸がほんの少しざわついた。
(あれ、なんだろう。どこかでこんな光景見た気がする。)
ほんの一瞬、何かが頭の奥を掠めた。
笑い声、眩しい日差し、誰かの後ろ姿。
掴もうとした瞬間には、霧がかかったみたいにぼやけてしまう。
(何でこんなに懐かしいの……)
胸の奥が落ち着かない。思い出せそうなのに、あと少しのところで届かない。何か大切なものがすぐそこにある気がして、詩織は無意識に樹から目を逸らした。子どもたちの歓声を背中に聞きながら、詩織は静かにその場を離れる。
胸のざわめきだけが消えなかった。
