一拍置いて続ける。
「君の声は、もう一回録る前提で動かす」
それは決定ではなく宣言だった。その場の空気は、もう揺れなかった。
その日の夜、樹は社内の会議室に一人でいた。ドアがノックされ、制作部の担当と、スポンサー調整を担う営業責任者が入ってくる。
「佐野さん、資料は見ました」
開口一番、営業責任者が言った。
「かなりリスクの高い判断ですね」
「はい」
樹は即答した。
「当初の契約では、ナレーター変更には事前確認が必要です。今回は緊急対応とはいえ、結果として未承認の変更になっています」
「その通りです」
制作担当者が資料をめくりながら続ける。
「スポンサー側はブランドイメージの一貫性をかなり重視しています。ナレーター変更について厳しい反応が出る可能性はあります」
樹は一度、目を閉じた。数日前なら、ここで別の答えを出していたかもしれない。
安全な選択。誰も傷つかない選択。
だが、今は違う。
「……一つだけ、お願いがあります」
二人が顔をあげる。
「今回の音源、もう一度聞いてもらえませんか」
「聞いた上での判断です」
営業責任者は即答した。
「それでもお願いします」
樹は、テーブルの上にレコーダーを置いた。数秒後、会議室に詩織の声が流れ始める。静かな声だった。派手さはない。それでも、言葉が自然に残り、最後の余韻が消えずに響く。
最後の一文が終わっても、誰もすぐには口を開かなかった。
「……なるほど」
短い言葉だった。
「リスクはありますが……佐野さんがこの声を選んだ理由は分かりました。」
制作担当も頷く。
「現場判断としては、筋は通っていると思います」
樹はようやく息を吐いた。だが、まだ終わったわけではない。
「ただし、スポンサー説明は必要です。」
営業責任者が続ける。
「最終的に納得してもらえるかは、まだ分かりません。」
「分かっています。」
「では、こちらで話を通します。」
営業責任者が資料を閉じた。
「ただ、佐野さんにも直接説明してもらうことになると思います。」
「もちろんです。」
樹は迷わず答えた。
会議が終わり、二人が出て行ったあとも、樹はしばらく席を立たなかった。机の上に残されたレコーダーを見つめる。
まだ、終わっていない。ただ自分の判断を社内で認めてもらっただけだ。スマートフォンが震えた。表示されたのは先ほどの営業責任者だった。
「はい」
『今、スポンサー側と繋げます。直接説明をお願いします。』
「分かりました」
数分後。モニターにスポンサー側の担当者が映った。
『佐野さんですね。今回のナレーターの変更について確認させてください』
『契約上、ナレーターの変更には事前承認が必要です。今回はその手順を踏んでいませんね。』
「はい、こちらの判断です」
『なぜ、変更したのですか?』
樹は一度だけ息を吸った。
「収録当日に予定していたナレーターが体調不良で参加できなくなり、延期も難しい状況でした。その中で、仮収録を担当していた白石の声が、今回の演出意図に最も合っていると判断しました。」
『声の質ということですか?』
「はい」
『それは佐野さん個人の判断では?』
「……はい。主観です」
樹は逃げなかった。
「ですが、作品を一番近くで見ている現場の人間として、あの声で完成させたいと判断しました。」
画面の向こうが静かになる。
『今回の判断については理解しました。ただし、契約上の手順を踏まなかったことについては、今後の案件も含めて注意してください。』
「承知しています。今回の責任は私が負います。」
「君の声は、もう一回録る前提で動かす」
それは決定ではなく宣言だった。その場の空気は、もう揺れなかった。
その日の夜、樹は社内の会議室に一人でいた。ドアがノックされ、制作部の担当と、スポンサー調整を担う営業責任者が入ってくる。
「佐野さん、資料は見ました」
開口一番、営業責任者が言った。
「かなりリスクの高い判断ですね」
「はい」
樹は即答した。
「当初の契約では、ナレーター変更には事前確認が必要です。今回は緊急対応とはいえ、結果として未承認の変更になっています」
「その通りです」
制作担当者が資料をめくりながら続ける。
「スポンサー側はブランドイメージの一貫性をかなり重視しています。ナレーター変更について厳しい反応が出る可能性はあります」
樹は一度、目を閉じた。数日前なら、ここで別の答えを出していたかもしれない。
安全な選択。誰も傷つかない選択。
だが、今は違う。
「……一つだけ、お願いがあります」
二人が顔をあげる。
「今回の音源、もう一度聞いてもらえませんか」
「聞いた上での判断です」
営業責任者は即答した。
「それでもお願いします」
樹は、テーブルの上にレコーダーを置いた。数秒後、会議室に詩織の声が流れ始める。静かな声だった。派手さはない。それでも、言葉が自然に残り、最後の余韻が消えずに響く。
最後の一文が終わっても、誰もすぐには口を開かなかった。
「……なるほど」
短い言葉だった。
「リスクはありますが……佐野さんがこの声を選んだ理由は分かりました。」
制作担当も頷く。
「現場判断としては、筋は通っていると思います」
樹はようやく息を吐いた。だが、まだ終わったわけではない。
「ただし、スポンサー説明は必要です。」
営業責任者が続ける。
「最終的に納得してもらえるかは、まだ分かりません。」
「分かっています。」
「では、こちらで話を通します。」
営業責任者が資料を閉じた。
「ただ、佐野さんにも直接説明してもらうことになると思います。」
「もちろんです。」
樹は迷わず答えた。
会議が終わり、二人が出て行ったあとも、樹はしばらく席を立たなかった。机の上に残されたレコーダーを見つめる。
まだ、終わっていない。ただ自分の判断を社内で認めてもらっただけだ。スマートフォンが震えた。表示されたのは先ほどの営業責任者だった。
「はい」
『今、スポンサー側と繋げます。直接説明をお願いします。』
「分かりました」
数分後。モニターにスポンサー側の担当者が映った。
『佐野さんですね。今回のナレーターの変更について確認させてください』
『契約上、ナレーターの変更には事前承認が必要です。今回はその手順を踏んでいませんね。』
「はい、こちらの判断です」
『なぜ、変更したのですか?』
樹は一度だけ息を吸った。
「収録当日に予定していたナレーターが体調不良で参加できなくなり、延期も難しい状況でした。その中で、仮収録を担当していた白石の声が、今回の演出意図に最も合っていると判断しました。」
『声の質ということですか?』
「はい」
『それは佐野さん個人の判断では?』
「……はい。主観です」
樹は逃げなかった。
「ですが、作品を一番近くで見ている現場の人間として、あの声で完成させたいと判断しました。」
画面の向こうが静かになる。
『今回の判断については理解しました。ただし、契約上の手順を踏まなかったことについては、今後の案件も含めて注意してください。』
「承知しています。今回の責任は私が負います。」
