ヘッドホンを耳に当てた瞬間、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえた。
防音された収録ブースは静かすぎる。さっきまで何度も出入りしていたはずなのに、今はまるで別の場所にいるみたいだった。
(……なんで「やります」なんて言っちゃったんだろう)
目の前にはマイク。ガラス越しには樹たちの姿。ふと樹と目が合うと、樹がふわっと笑みを浮かべる。
(あ……)
思った直後、ガラスのその向こう側で樹が口を開く。
『白石さん。いつも通りでいい』
その一言だけだった。なのに、不思議なくらい肩の力が抜けた。
『白石さん、聞こえる?』
「はい、大丈夫です」
『まずはレベル確認するから、適当に何か読んでみて』
「適当にって言われても……」
詩織は台本へ視線を落とした。
「……本日はご来場いただき、ありがとうございます。」
ディレクションルームで、広瀬が画面を見ながら呟いた。
「音は問題ないです」
詩織は小さく息を吐いた。
『じゃあ、本番いこうか』
その言葉を合図に、収録が始まった。最初の数行は、自分でも硬いとわかった。けれど読み進めるうちに、不思議と余計な力が抜けていく。手元の台本の文字が、自然と頭に入ってきた。
「――暗闇の中で、私たちはいつも、確かな光を探していた」
言葉が静かなブースの中へ溶けていく。
ふとガラスの向こうを見ると、樹がじっとこちらを見ていた。いつもの穏やかな表情じゃない。企画を作る時の、真剣な目だった。その視線に、胸が小さく跳ねる。
(届けたい)
ただ、その気持ちだけだった。
最後のフレーズを読み終え、余韻を残してそっと息を引く。
再びブースに静寂が戻った。一秒、二秒。ガラスの向こうで、広瀬が大きく息を吐き、隣の樹を見て頷く。
『……うん、最高だ』
インカム越しの声は、いつもより少しだけ熱を帯びて聞こえた。カフが切られ、ガラスの向こうの二人が何やら嬉しそうに話し始めるのを見ながら、詩織はゆっくりとヘッドホンを外した。耳元に触れた指先は、まだ少し震えていた。
張り詰めていた緊張が解けた途端、全身の力がすうっと抜けていく。重いヘッドホンをデスクの脇に置くと、防音室の静寂が、今度はやわらかく身体に染み込んできた。
カチャリ、とドアが開く。
「白石さん、お疲れ様でした! いや、本当にすごかったです。仮収録の時も良かったけど、本番は別ものでしたね」
広瀬が、興奮気味に拍手しながら入ってくる。
「ありがとうございます……。ちゃんと、できてましたか?」
「できてたなんてもんじゃないですよ!ね、先輩?」
促されるように、樹もブースに入ってくる。詩織の前まで来ると、一瞬だけ間を置いてから口を開いた。
「うん。言葉の間も、最後の余韻も……想像以上の声だった。」
それだけで十分だった。その一言が、真っ直ぐに詩織の胸に落ちてくる。自分の声が、あの世界の一部になれた気がした。
「佐野さんの作品を、壊さずに済んだなら……良かったです」
詩織が小さく笑うと、樹も目元を緩めた。
「壊すどころか、ちゃんと完成させてくれたよ。」
少し間を置いて、樹は続ける。
「喉、少し休めようか。外、出ない?」
軽く顎を動かす。
「お礼もまだちゃんとしてなかったし」
そう言って、ポケットを軽く叩いた。
「あ、ずるいです先輩!俺の分は?」
「広瀬はデータの書き出し作業が終わってからな」
「ブラックすぎません?」
広瀬のぼやきに、スタジオの空気がふっと緩む。
さっきまでの緊張が嘘のようだった。
「じゃあ……お言葉に甘えてもいいですか?」
詩織は台本をそっとバックにしまい、樹のあとに続いてブースを出た。廊下に出ると、冷たい空気が少し火照った頬に触れた。
防音された収録ブースは静かすぎる。さっきまで何度も出入りしていたはずなのに、今はまるで別の場所にいるみたいだった。
(……なんで「やります」なんて言っちゃったんだろう)
目の前にはマイク。ガラス越しには樹たちの姿。ふと樹と目が合うと、樹がふわっと笑みを浮かべる。
(あ……)
思った直後、ガラスのその向こう側で樹が口を開く。
『白石さん。いつも通りでいい』
その一言だけだった。なのに、不思議なくらい肩の力が抜けた。
『白石さん、聞こえる?』
「はい、大丈夫です」
『まずはレベル確認するから、適当に何か読んでみて』
「適当にって言われても……」
詩織は台本へ視線を落とした。
「……本日はご来場いただき、ありがとうございます。」
ディレクションルームで、広瀬が画面を見ながら呟いた。
「音は問題ないです」
詩織は小さく息を吐いた。
『じゃあ、本番いこうか』
その言葉を合図に、収録が始まった。最初の数行は、自分でも硬いとわかった。けれど読み進めるうちに、不思議と余計な力が抜けていく。手元の台本の文字が、自然と頭に入ってきた。
「――暗闇の中で、私たちはいつも、確かな光を探していた」
言葉が静かなブースの中へ溶けていく。
ふとガラスの向こうを見ると、樹がじっとこちらを見ていた。いつもの穏やかな表情じゃない。企画を作る時の、真剣な目だった。その視線に、胸が小さく跳ねる。
(届けたい)
ただ、その気持ちだけだった。
最後のフレーズを読み終え、余韻を残してそっと息を引く。
再びブースに静寂が戻った。一秒、二秒。ガラスの向こうで、広瀬が大きく息を吐き、隣の樹を見て頷く。
『……うん、最高だ』
インカム越しの声は、いつもより少しだけ熱を帯びて聞こえた。カフが切られ、ガラスの向こうの二人が何やら嬉しそうに話し始めるのを見ながら、詩織はゆっくりとヘッドホンを外した。耳元に触れた指先は、まだ少し震えていた。
張り詰めていた緊張が解けた途端、全身の力がすうっと抜けていく。重いヘッドホンをデスクの脇に置くと、防音室の静寂が、今度はやわらかく身体に染み込んできた。
カチャリ、とドアが開く。
「白石さん、お疲れ様でした! いや、本当にすごかったです。仮収録の時も良かったけど、本番は別ものでしたね」
広瀬が、興奮気味に拍手しながら入ってくる。
「ありがとうございます……。ちゃんと、できてましたか?」
「できてたなんてもんじゃないですよ!ね、先輩?」
促されるように、樹もブースに入ってくる。詩織の前まで来ると、一瞬だけ間を置いてから口を開いた。
「うん。言葉の間も、最後の余韻も……想像以上の声だった。」
それだけで十分だった。その一言が、真っ直ぐに詩織の胸に落ちてくる。自分の声が、あの世界の一部になれた気がした。
「佐野さんの作品を、壊さずに済んだなら……良かったです」
詩織が小さく笑うと、樹も目元を緩めた。
「壊すどころか、ちゃんと完成させてくれたよ。」
少し間を置いて、樹は続ける。
「喉、少し休めようか。外、出ない?」
軽く顎を動かす。
「お礼もまだちゃんとしてなかったし」
そう言って、ポケットを軽く叩いた。
「あ、ずるいです先輩!俺の分は?」
「広瀬はデータの書き出し作業が終わってからな」
「ブラックすぎません?」
広瀬のぼやきに、スタジオの空気がふっと緩む。
さっきまでの緊張が嘘のようだった。
「じゃあ……お言葉に甘えてもいいですか?」
詩織は台本をそっとバックにしまい、樹のあとに続いてブースを出た。廊下に出ると、冷たい空気が少し火照った頬に触れた。
