君の声

 休憩を挟み、迎えた午後。樹は自席で作業にあたっていた。パソコンの画面にはいくつものファイルが開かれている。詩織から送られてきた音響の仕様書、午前中にチェックしたデモ音源の波形データ、そしてそれらの音の隙間を埋めるための、ナレーション台本のテキストファイル。
 樹は片耳にイヤホンを引っ掛け、デモ音源のプレビュー再生ボタンを押した。静かなBGMが鼓膜を叩く。その旋律の合間、秒数にして僅か数秒の空白が、今の樹の戦場だった。ここはどうしても自分で拘りたいと部下に任せず請け負ったのだ。キーボードの上に指を置き、頭の中で声を再生する。このBGMのトーンなら、ナレーターの声は少し低め、湿度を含んだ滑らかな質感が合う。その声が一番美しく響き、かつ聞き手の耳にじりと残るような言葉の並びを模索する。
「……いや、この言葉だと母音が多すぎて、音が間延びするな」
 呟きながらバックスペースキーを叩いて文字を削った。
 映像の尺、BGMの盛り上がり、そして声。その三つが噛み合う場所を探しながら、言葉を削っていく。
『(BGMフェードアウト、1.5秒あける)』
 テキストの合間に、ト書きとなる指示を打ち込んでいく。文字を打っているというよりは、目に見えない声の輪郭を、一文字ずつ組み立てているような感覚だった。画面上のストップウォッチのタイマーを走らせ、自身でも小さく声を出し、テンポを確認する。
 よし、大丈夫そうだ。
 樹は小さく息を吐き出すと、さらに次のセクションのテキストへカーソルを移動させた。
 こうして出来上がった台本を修正したキューシートとともに詩織にメールで送る。一息つくためにカフェスペースへ向かうことにした。自動販売機で冷たいコーヒーを買い、息をつく。窓の外へ視線を向けると空はすっかり夏の気配を孕んでいた。
 カフェスペースの椅子に座り、スマートフォンでメールを開くと、すぐに詩織からの返信が届いていた。
『修正案、確認しました。佐野さん、すごいですね。削られたテキストの代わりに生まれた1.5秒の間。早速このタイミングに合わせて、音源のフェードアウトを微調整してみます。』
 文面からも彼女の興奮が伝わってくるようだった。
「やっぱり、気づくか」
 樹は無意識に口元を緩めた。普通の人間なら見落とす数秒の空白。そこに込められた意図を、彼女は一発で理解してみせる。
(やっぱりお前は、最高のパートナーだよ)
 胸を突く愛おしさと、それを仕事の仲間としてしか受け取れない切なさが同時に押し寄せる。
 樹はコーヒーの缶を握り締め、複雑な感情を飲み込むように喉を鳴らした。