君の声

 自宅に着いた詩織は、部屋の明かりを点けてすぐにソファに座り、ノートパソコンを開いた。画面の白い光が静かなリビングを照らす。ゆっくりとキーボードを叩き、今日水族館で浮かんだアイデアや、刺さった言葉をメモとして一つひとつ残していく。同時に浮かんだのは隣で優しく笑う樹の姿だった。
「佐野さん、意外だったなぁ」
 ポツリと呟いて指を止める。
 最初の飲み会で感じたのは、とにかく「周りに気を遣う人」だということ。器用に場を回しながらも、誰一人置いていかないように視線を配っている。
 次に会った時にはまさかあの時の佐野さんがチームリーダーだなんて思いもしなかった。
 そして今日。水族館で偶然会って、一緒に回って、海の見えるカフェで話をして。不思議なくらいに自然だった。
 どこかホッとするようなそんな不思議な感覚。
 事故のあとからずっと、胸の奥にあった言葉に出来ない違和感。
 何か大切なものを忘れてしまったような、そんな感覚。
 なのに、佐野さんの前ではどうしてあんなに無邪気になれてしまうのだろう。
 彼のもつ空気感も、自分の名前を呼ぶ少し低めの声のトーンも。まるでずっと昔から知っていたかのように、自分の輪郭にぴったりと馴染んでしまう。
「……考えすぎ、か」
 そう呟いて詩織は再びキーボードに指を置く。
「……よし。絶対に成功させよう」
 首を振って、甘くなりそうになる思考を仕事のスイッチへと切り替える。自分を信じて任せてくれる「佐野さん」のために。詩織は再び、小気味よいタイピング音を部屋に響かせ始めた。