君の声

 ショッピングモールを出る頃には時計の針は夕方を指していた。
「あっつ……」
「中涼しかったもんね」
 そんな会話をしながら車に乗り込む。
「ちょっと涼ませて」
「どうぞ」
 エンジンをかけエアコンの冷風を浴びる。詩織はその姿を笑いながら見守っていた。
「懐かしいね」
「何が?」
「高校の頃も、よく樹は涼ませてって、放送室に来てたよね」
 詩織が笑う。
「部活のあとな。夏は地獄だった」
 樹も笑った。
「……よし、行くか」
 風で少し乱れた前髪を整えて、樹はアクセルを踏み込んだ。
「……ねぇ、どこ行くの?」
 少し走った頃、詩織が問いかける。車は家とは反対方向に進んでいた。
「特別、だから」
 今日、何度目か分からない言葉を口にして樹は優しく笑った。ほどなくして車は一つの建物に入った。
「ねぇ……」
「行きたがってたよね」
 駐車場に車を停め、樹が微笑むと詩織の瞳が僅かに揺れる。そこは詩織が雑誌を見ながら密かに憧れた場所だった。
「どうしてわかったの?」
「詩織見てたら分かる。」
 優しく笑う樹に詩織の胸の奥が温かくなる。
「さ、行こうか」
 詩織の頭をそっと撫でる。樹はドアを開け、後部座席に置いていた紙袋を手に取ると、昼に買ったジャケットを羽織る。そのまま助手席に回ってドアを開ける。詩織がじっと見つめている。
「ん?どうした?」
「かっこいいなって」
 ぽつりと零れた言葉に樹は照れくさそうにはにかんで手を差しだした。
「ありがとう。」
 差し出された手に詩織は手を添え、二人は寄り添って店内へ向かう。
「予約していた佐野です」
「お待ちしておりました。」
 最上階のレストランで案内されたのは窓際の席だった。大きなガラス窓の向こうには、街の灯りがどこまでも広がっている。
「綺麗……」
(連れてきてよかった)
 思わず言葉を漏らす詩織の横顔に、樹は心の中でそっと息をついた。
 コース料理が運ばれてくる。
「こんなところ、初めて」
「俺も。」
「緊張してる?」
「ちょっと。」
「ふふ」
 グラスを合わせ、小さく乾杯する。
「今日一日、ありがとう」
「俺の方こそ。」
 他愛もない話をしながら料理を口に運ぶ。美味しいはずなのに、樹はどこか落ち着かなかった。
 デザートを食べ終え、店をあとにする。
「楽しかった?」
 車へ向かいながら問いかけると詩織は笑顔で頷いた。
「うん」
「そっか」
 樹は小さく笑って車のドアを開けた。

「ただいまー」
 二人の家に着き、声をかけながら靴を脱ぐ。
「楽しかったー」
 明るい声を響かせながら詩織はリビングへ向かう。
「運転疲れたでしょ。コーヒー淹れるね」
「詩織」
 キッチンに向かう詩織を樹は呼び止める。
「なに?」
 振り返った詩織は思わず息をのんだ。見たことないくらい緊張した樹がそこには立っている。
「樹?」
「今日、すっげぇ楽しかった。」
 話し出した樹に詩織は黙りこむ。
「一緒に笑って、出かけて……ただいまって家に帰る。ずっと、こんな日を過ごしたい。その相手は詩織がいい。」
 一度だけ樹は深く息を吸った。部屋が静まり返る。
 ジャケットの内ポケットに手を入れる。ゆっくりと取り出したのは、小さな青い箱だった。その箱を見た瞬間、詩織の瞳が揺れる。
「俺と、結婚してください」
 そう言って箱を開く。中には一粒のダイアモンドが輝いていた。
 言えた。
 それだけで胸がいっぱいだった。
 詩織は何も言わない。
 指輪の入った箱を見つめたまま、小さく肩を震わせている。
 (長い……)
 実際には数秒だったのかもしれない。それでも樹には永遠に思えた。
「……はい」
 小さく、詩織は呟いた。大きな瞳から涙が零れ落ちる。樹はそっと詩織の左手をとるとその細い薬指に指輪を通した。
「……うん、ぴったりだ」
 はにかめば、詩織も笑う。涙は止まらない。樹は頬を流れる涙を親指でそっと拭うと優しく抱き寄せた。
「……私でいいの?」
「詩織じゃなきゃだめなの」
「願い、叶っちゃった」
 樹の腕の中で詩織は笑う。樹はそっと頬に手を添え、顔を上げさせると優しくキスをした。
「……愛してる」
「私も……愛してる」
 二人は微笑み合う。

「今日何の日か覚えてる?」
「……樹が初めて告白してくれた日」
「覚えてたか」
 樹は笑った。