君の声

「詩織のおかげで助かった。ありがとう」
「どういたしまして。一人だったら後回しにしてたでしょ?」
「……バレてた」
 穏やかな時間が流れる。
「風呂、入るか」
「……うん」
「一緒に入る?」
「……もう」
 そんなやり取りをしながら湯船にお湯を張る。先に詩織を行かせて、樹はカバンから手帳を取り出す。少しくたびれた写真を手に取り空いた写真立てにそっと戻すと、後を追うように樹も浴室に向かった。
「髪、やってあげる。」
 お風呂から出ると、詩織が何か言うより先に、樹はドライヤーを手に取った。
 ソファに座り、自分の前に詩織を座らせる。
 濡れた髪にそっと指を通しながら、温風を当てていく。
 髪を乾かすだけなのに、こうして詩織に触れていられることが嬉しかった。
「私も、やってあげる」
 詩織の髪が乾くと、今度は場所を入れ替わる。詩織が樹の髪にドライヤーを当てる。
 何てことのない時間が二人にとっては特別だった。
 お互いの髪が乾いた頃、ふとチェストに向けられた詩織の視線が止まる。
「……あれ、なに?」
 樹が詩織の視線を追いかけると、そこには少しだけボロボロになったラッピングされた箱があった。
(……忘れてた)
 少し焦る樹をよそに詩織は立ちあがり、箱を手に取る。
「……これ」
 箱と樹の顔を何度か見比べる。
 たぶん彼女は気付いてる。
 観念した樹は白状するように話し始めた。
「本当は大学の時、渡したかったんだけど」
 詩織を泣かせてしまった8年前の二十歳の誕生日。あの日に渡そうとしていたもの。
「捨てられなくて……」
「開けていい?」
 樹は頷く。中から出てきたのはイルカと星がモチーフになったペンダント。小さく光る石がはめ込まれている。
「綺麗……」
「あの時は詩織に似合うと思って用意したけど、ちょっと幼かったか」
 8年という月日の経った詩織には少し子どもっぽいデザインだったかもしれない。苦笑する樹に詩織は少しだけ瞳を潤わせて振り返った。
「そんなことない。……貰っていい?」
「……貸して」
 詩織の手からペンダントを受け取ると、丁寧に彼女の首につける。あの頃より大人になった詩織の胸元で小さなペンダントが揺れた。樹はふっと笑った。
「……やっぱり、買い直そう」
「私、これがいい。」
 大切そうに手を添えて詩織は言った。
「樹が選んでくれたんだもん。」
 敵わない——
 俺が何も言えなくなる言葉を詩織は知っている。
 嬉しそうにペンダントを見つめる詩織を見ていると自然と言葉がこぼれた。
「なぁ詩織」
「ん?」
「一緒に住まない?」
「え?」
「今日みたいに朝起きたら詩織が居て、一緒に家を出て同じ家に帰る。それが当たり前になったらいいなって」
 一瞬、樹は迷うように視線を彷徨わせた。
「……違うな。俺が離れたくないだけ」
 樹の真剣な眼差しに、詩織の目には涙が浮かぶ。
「いいの?」
「もちろん。詩織が嫌じゃなければだけど」
「……私だって離れたくないよ」
 樹はそっと詩織を抱き寄せる。
「もう少し広い部屋探そうか。二人で住んでも平気なくらい」
「私はここでもいいよ」
「……さすがに狭い」
「樹が一緒なら狭くてもいい」
「お前ねぇ……」
 樹が苦笑いを浮かべれば詩織は笑う。ただそれだけなのに、信じられないくらい幸せな時間だった。
(ほかに伝えたい言葉はある)
(けど、今は——)
 腕の中で笑う詩織の頬に手を添えて軽く唇を落とす。そっと離れると詩織と目が合う。微笑んだ詩織が、今度は自分から唇を重ねた。