君の声


 俺が最初に君を見たのは、夕日の差し込む教室だった。

 高校一年の夏。
 部活終わり、忘れ物を取りに教室へ戻った時だったと思う。下校時刻が近づいていて、教室にはほとんど誰も残っていなかった。オレンジ色の西日だけが窓から長く差し込んでいる。
 その中で、一人だけ机に向かっている子がいた。
 白石詩織。
 窓際の席でノートに何かを書き込んでいた。何を書いていたのかは覚えていない。ただ、周りなんて全然見えていないみたいに、真剣な顔をしていたのだけを妙に覚えている。
 教室ではいつも明るく笑っていて、誰とでも話している印象だったから、その横顔が少しだけ意外だった。
 別に、その時好きになったわけじゃない。
 ただ——なんとなく気になった。
 今思えば、その時からだったのかもしれない。
 気づけば、廊下ですれ違うたびに目で探していたのは。

 高校二年の春。放課後の喧騒がすっかり薄くなった夕暮れの校舎。
 俺は鞄に入りきらなかったプリントの束を回収するため、足早に部室へと向かっていた。渡り廊下を歩いていると体育館の方から微かに音が聞こえてきた。下校時刻は過ぎていた。こんな時間に残っている生徒なんていないはずだ。
(誰だ?)
 気になって体育館の扉をそっと開け、中を覗く。薄暗いステージの上にぽつんと人影があった。同じ学年の白石だ。
 整然とパイプ椅子が並べられている体育館のステージの端で、ミキサーの前に白石がしゃがみ込んでいた。いつも教室で笑っている彼女とは違う、真剣な横顔だった。
(白石ってあんな顔するんだな)
 その真剣な佇まいにどこか圧倒され、声を掛けるのも忘れて俺はしばらくドアの隙間からその姿をじっと見つめていた。
 カチャと機材の接続コードが触れ合う小さな音が体育館に響く。
 ♪~~
(やばい!)
 その直後に鳴り響いたのは俺のスマートフォンの着信音。慌てて止めて、視線を上げると驚いたように目を丸くした白石と目が合う。しまった、見つかった。
 俺はいつもの調子で「お疲れ」なんて言いながらステージに向かって歩いていく。
「部室向かってたら誰かいる気配がしてさ。ごめん、邪魔だった?」
 がらんとした体育館に俺の声が響く。
「ううん、大丈夫。マイクの音がちゃんと後ろまで届くか確認したくて誰か喋ってくれないかなって思ってたところ」
 白石はそう言って笑った。
「いいよ、俺やる。何喋ればいい?」
 ステージに上がり、壇上のマイクの前に立つ。「ありがとう。適当でいいよ。」そう言いながら白石はステージを降りて体育館後方に向かう。白石が立ち止まり、OKサインが出たのを確認してマイクを握って話し始めた。
「……遥か昔、この場所にひとつの小さな灯りがともった。
 それは、誰かが未来を信じて残した、小さな、けれど消えない希望の火。
 時が流れて、時代が変わっても。
 ここに集う人たちの足跡が、ひとつ、またひとつと重なって、今の僕たちの道になっている。
 嬉しい日も、少し立ち止まりたい日も、この場所はいつも変わらずに僕たちを迎えてくれた。
 だから、今日という特別な日に、これまでのすべての足跡に、心からの感謝を。
 そして、明日から始まる新しい物語が、どうか、温かい光に満ちたものでありますように。
 ————って感じでどう?」
「……え?あ、うん!大丈夫そう!」
 一瞬の間のあと、白石が慌てて駆け寄ってくる。
「あとなんかやることあるの?」
「マイクのテストだけが不安だったからあとは大丈夫かな」
 白石の言葉に俺もステージを降りようとした時。体育館の扉が開く甲高い音が響いて、教師の声がした。
「お前ら何やってんだ。下校時刻過ぎてるぞ!」
「うわ、見つかった」
「佐野、なんか言ったか?」
「いいえ、なにも!!」
「ったく。ほらとっとと帰れよ。」
 先生が扉を閉めて出ていく。慌ててステージを降りると白石が困ったように笑っていた。
「私のせいで、怒られちゃったね」
「気にしないで。さっ、作業終わったんなら白石も帰ろう」
「じゃなきゃまた怒られる」そう言っておどける俺に白石も笑顔を見せてくれる。その笑顔がなぜか印象に残った。隅に置いてあった白石の鞄を持つと二人で昇降口まで歩く。
「じゃあ、またあ「送ってく」……え?」
「ほらちょっと暗いし。どっち?」
 校門を出たところで白石の言葉を遮って白石が示す方向に歩いていく。白石と初めてまともに話したのはこの時だった。
「さっきのって」
「あぁ、ごめん。調子にのって長く喋っちゃった。」
「そうじゃなくて、なんか意外だったから…」
「俺の好きな小説のワンフレーズ」
 そうだったんだ、と白石が笑う。お互いの趣味のこと、好きなもののこと、そんな他愛もない会話をしながら夕暮れの道を歩いた。