君の声

 後ろから聞こえた声に詩織の動きが止まる。
(そんな……)
 聞き間違えるはずがない。詩織はゆっくり振り返る。そこには車にもたれ、こちらを見て笑う樹がいた。
「樹!」
 思わず詩織は駆け寄ると、勢いのまま広げられた樹の腕に飛び込む。
「ただいま」
 力いっぱい抱きしめられ、耳元で響く愛おしい声。
「おかえりなさい」
 樹の胸に顔を埋めて呟く。その声は少しだけ震えていた。
「仕事終わった?ドライブでもどう?」
 少しだけ力を緩めた樹が詩織の顔を覗き込む。促すように視線を動かした先には懐かしい、だけど見慣れた黒の車が停まっていた。詩織が小さく頷いたことを確認して、樹は詩織の手を引いて助手席へ促す。ドアを締め、運転席に乗り込むとゆっくりと発進させた。走り出した車内で詩織が呟く。
「……帰ってくるなんて聞いてない」
「驚かせたくて。」
 樹はサプライズ、と笑う。
「……最初に会いたかった」
「……かーわい」
「もう!」
 拗ねたように窓の外に顔を向けた詩織に樹は苦笑した。信号待ちで止まると、詩織の手を握る。
「ごめんな。」
 握った手に力がこもる。窓に映る詩織の口元が緩むのが見え、樹は満足そうに微笑む。信号が青に変わって車が進み出しても、繋がれた手は離されなかった。

「着いたよ」
 しばらく走って車が止まったのは見慣れた場所だった。
「ここ?」
「そう。さ、行こう」
 そう言って樹は車を降りる。助手席に回りドアを開け、右手を差し出す。詩織はその手に自分の右手を重ねる。二人は手を繋いだまま歩き出す。
 着いたのは水族館だった。受付でチケットを買って中へ入る。
「久しぶりだね」
 詩織は樹を見上げる。
「帰ったら詩織とここに来ようって決めてたんだ」
 樹は微笑む。手を繋いで、ゆっくりと館内を回る。小さな水槽から大きな展示まで一つひとつを二人で眺める。
「あれ、佐野さん?」
 大水槽を眺めていると不意に声をかけられた。樹が振り返るとそこにはイベントで親しくなった女性スタッフがいた。
「お久しぶりです。」
 樹は人懐こい笑顔を浮かべる。
「アメリカに行ったって聞きましたけど」
「……情報が早いですね」
 近づいてくるスタッフに樹は詩織の手を引いて自分の方へ引き寄せる。
「事務所へぜひ。みんなに顔見せませんか?」
「すみません。せっかくですがプライベートなので。」
 樹は繋いだ手を少し掲げて見せる。
「あ……え、白石さん?!」
 彼女の目が大きく見開かれる。詩織は少し恥ずかしそうにお辞儀をする。
「うわぁ……おめでとうございます。」
「……ありがとうございます」
 満面の笑顔を見せるスタッフに二人は照れたように顔を合わせた。
 女性スタッフに見送られて二人は大水槽を後にする。
「おめでとうございますだって」
「なんか恥ずかしいな」
 一緒にイベントを作り上げた仲間からの言葉は二人にとって少しくすぐったくてそれ以上に嬉しかった。館内で顔見知りのスタッフに会う度に祝福されながら二人は歩く。クラゲ水槽の前で立ち止まる。
「相変わらずふらふら浮いてんな」
 下から水槽を覗き込み樹が言う。
「でもかわいい」
 詩織は小さなクラゲを人差し指でガラス越しに追いかける。楽しそうに微笑む横顔に樹は一瞬だけ視線を向けた。
(……どっちが可愛いんだよ)
 口には出さない。その代わりに繋いだ指を撫でた。