言葉は、あるはずだった。
傘の半分とか、十七時半の枠とか、折り目だらけの資料とか。
あるのに、どれも口に出すと違う気がして、選んでいるうちに時間が経った。
(……いっぱいあるのに、なんで出てこないんだろう)
「もういい、その顔が答え」
「何も言ってないけど」
「顔が全部白状してる。ごちそうさまです」
千夏は満足そうにトレーへ戻った。
それから、ふと、箸の先を少し下げた。
「……ねえ。私がこれ、言いふらすかもって、心配してない?」
「してない」
即答すると、千夏は変な顔をした。
「即答じゃん」
「千夏は、私が止めてって言ったことは、言わない人だから」
「…………そういうとこだぞ、親友」
千夏は目のあたりを一回こすって、味噌汁を飲み干した。
お椀を置いて、追撃が再開された。
「で? 手ぇ繋いだ? てか、キスは?」
「……その質問には、お答えできかねます」
とっさに、三年物の窓口の声が出た。
「その声で流すの、ずるくない?」
「規定ですので」
「出た」
千夏は笑って、それから、少しだけ声を落とした。
「……よかったね。ほんとに。この三か月、ずっと顔が硬かったから」
噂の頃の話は、それ以上しなかった。
しないでいてくれるのが、千夏だった。
午後、スマホに千夏からスタンプが一枚だけ届いた。
泣き笑いの猫だった。
ジト目の猫は、もう出てこないらしい。
