岡本くんの誘いは、あれから一度も具体的な日にちにならないまま、消えていた。
約束、と言っていた気もするけど、もう、よく思い出せない。
缶は、もうぬるくなりかけている。
それでも、両手はまだ包んだままだった。
缶が空になる頃、篠宮が立ち上がった。
「送りは要りますか」
「い、いえ、大丈夫です。駅、近いので」
「そうですか」
あっさり引き下がって、篠宮は資料に戻る。
このみは鞄と空になった缶を持って、給湯室のゴミ箱へ向かった。
捨てる前に、なんとなく、篠宮のほうを振り返る。
「篠宮さん」
「はい」
「これ、お約束に、しないでくださいね」
言ってから、自分で驚いた。
何を言ってるんだろう。
「残業のたびにコーヒー、っていうのは。……気を、使わせちゃうんで」
篠宮は資料から顔を上げずに、少し間を置いた。
「善処します」
しない、とは、言わなかった。
外に出ると、夜気が湿っていた。
秋が深まり、昼はまだ暖かいものの、夜風が冷たくなってきた。
駅までの道で、下の自販機の前を通った。
水を買った。
ルーレットのような機能は、ついていなかった。
(……あたりが出たって言ってたのに)
嘘、というほどのことでもない。
ただ、あの人なりの、気の遣い方だったんだろう。
これから大勢の人から敵意を向けられて、それどころじゃないはずなのに。
考えると、また、頬が熱くなった。
スマホを出して、千夏に何か送ろうとして、やめた。
今夜のことを言葉にしたら、もっと意識してしまいそうだった。
ホームで電車を待つあいだ、「首切り屋の仕事だ」という声だけが、なぜか、消えずに耳に残った。
