喪失の夜に、あなたがいた

祖母を助けてくれた女性──
佐伯明莉。

その名前を、
楓は佑輔の口から初めて聞いた。

そしてその瞬間、
胸の奥で何かが静かに震えた。

(……あの人だったんだ)

けれど、その揺れは
すぐに別の感情に押し込められた。

佑輔は大学に入ってすぐ、
俳優になりたくて事務所のライダーオーディションに参加し、
そのまま俳優としても活躍していた。
その頃に佐伯明莉と共演したらしい。

明莉は子役の頃から実績を積み、
努力で役を勝ち取ってきた人だった。

佑輔が、あまりにも嬉しそうに明莉を語るから──
楓は胸の奥の揺れをそっと押し込めるしかなかった。

「楓、聞いてくれよ」

大学の帰り道。
佑輔はいつものように、
少し照れたような笑顔で話し始めた。

「明莉ってさ、
 自分のことより他人のことを優先するんだよ。
 努力家で、真面目で……
 でも、ちょっと不器用でさ」

その声は、
誰かを本気で愛している人の声だった。

楓は黙って聞いていた。
佑輔が幸せそうだから、嬉しい。
その気持ちは本物だった。

けれど──
胸の奥のどこかが、
静かに痛んだ。

(……どうして、俺は)

理由はわからない。
ただ、祖母を助けたあの瞬間の光景が、
何度も頭の中に浮かんだ。

佑輔は続けた。

「俺、あの子を守りたいんだよ。
 幸せにしたいんだ」

その言葉を聞いた瞬間、
楓は悟った。

(……踏み込んじゃいけない)

佑輔の大切な人。
親友が心から愛している人。

だから楓は、
胸の奥に芽生えた感情を
そっと押し込めた。