喪失の夜に、あなたがいた

名前も知らない。
どこかで見たことがある気もする。
けれど、そのときは気づかなかった。

その女性が──
後に佑輔が語る
「佐伯明莉」だということに。

数日後。
佑輔が嬉しそうに言った。

「好きな人ができたんだ」

楓は驚いた。
そして、佑輔が写真を見せた瞬間──
胸の奥が静かに震えた。

(……あのときの)

祖母を助けてくれた女性。
あの柔らかい声。
あの優しい笑顔。

佑輔は続けた。

「佐伯明莉。
 すっげぇ頑張り屋でさ……
 俺、あの子を幸せにしたいんだよ」

その言葉を聞いた瞬間、
楓は悟った。

(……踏み込んじゃいけない)

佑輔の大切な人。
親友が心から愛している人。

だから楓は、
胸の奥に芽生えた感情を
そっと押し込めた。

それが、
楓の“本心”の始まりだった。

言葉にならない想い。
誰にも言えない感情。
ただ静かに、胸の奥で息をしているもの。