喪失の夜に、あなたがいた

事務所を出ると、
ビルの前に楓が立っていた。

スーツ姿のまま、
静かに、まるで明莉がここに来ることを
最初から知っていたかのように佇んでいた。

「……どうでしたか?
 あなたのこと、加苅さんに任せてほしいとお願いしました」

その声は、
いつもの落ち着きの中に、
ほんの少しだけ期待が滲んでいた。

「ありがとうございます。社長に聞きました。
 ……それから、えっと……復帰、決まりました」

明莉がそう告げると、
楓は驚いたように目を見開き、
すぐに柔らかく微笑んだ。

「おめでとうございます」

その言葉は、
ただの祝福ではなく、
“あなたが自分の足で立とうとしたこと”への
深い敬意が込められていた。

胸の奥がじんと熱くなる。

「……怖いです。
 でも、頑張ります」

「大丈夫です。
 あなたは必ずやれます。
 僕も加苅さんも、あなたの味方です」

楓の声は、
まるで背中をそっと押してくれる風のようだった。

マンションに戻ると、
明莉はソファに座り、
事務所から送られてきた復帰コメントの最終稿を確認した。

「佐伯明莉、芸能活動再開へ」

その文字を見た瞬間、
胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

(……本当に、戻るんだ)

怖さと期待が混ざり合い、
心が静かに揺れた。

楓はキッチンでお湯を沸かしながら、
明莉の様子をそっと見守っていた。

「不安ですか」

「……少しだけ。でも……それ以上に、嬉しいです」

「それなら、きっと大丈夫です」

楓はそう言って、
温かい紅茶を明莉の前に置いた。

「あなたが選んだ道です。
 僕はその道を、あなたが歩きやすいように整えます」

その言葉は、
明莉の胸に深く沈んだ。