喪失の夜に、あなたがいた

復帰を決意した翌日。
明莉は、久しぶりに事務所へ向かった。

玄関を出るとき、楓が言った。

「無理はしないでください。
 あなたのペースで話せばいい」

その言葉に、明莉は小さく頷いた。

(……大丈夫。
 私はもう、逃げない)

そう思えるだけで、足が前に進んだ。

事務所のビルは、以前と変わらず静かに佇んでいた。
けれど、そこへ向かう自分の心は、以前とはまったく違っていた。

受付で名前を告げると、
スタッフが驚いたように目を見開いた。

「明莉さん……! お久しぶりです。
 加苅さんが会議室でお待ちです」

その言葉に胸が少しだけ熱くなる。
自分を覚えてくれていることが、
こんなにも嬉しいなんて思わなかった。

会議室の扉を開けると、
マネージャーであり社長でもある加苅が立ち上がった。

「明莉……元気だったかい。よく来てくれた」

その声は驚くほど優しかった。
加苅は、明莉が子役だった頃からずっと支えてくれた“父親のような存在”だった。

「無理にとは言わないつもりだった。
 濱崎君のことは本当に残念だった。
 明莉から話を聞くまで二人のことは知らなかったけど……
 ふたりがお互いを支えあって生きていたことは、よくわかった。
 身体は大丈夫かい?
 でも……戻ってきてくれて嬉しいよ」

明莉は深く頭を下げた。

「ご迷惑をおかけして……すみません」

「迷惑なんかじゃない。
 君は大切なタレントだよ。
 佑輔君とのことは一部の人間しか知らない。
 もちろん流産のことも……
 これからもトップシークレットを貫き通す。
 君を守るために……。」