喪失の夜に、あなたがいた

楓の腕の中で揺られながら、明莉は雨の音だけを聞いていた。
世界の輪郭はぼやけて、何も考えられなかった。
ただ、濡れたスーツの布越しに伝わる体温だけが、
かろうじて明莉に現実を突きつけた。

気づけば、知らない部屋の天井が見えていた。
柔らかな照明。
静かな空気。
雨の匂いが少しだけ残っている。
明莉はあたりを見回して不思議な顔をしていた。

「ここ、僕の家です。救急に連れていくより……今は休んだほうがいいと思って」

楓の声は低くて、落ち着いていて、
どこにも強引さがなかった。

明莉は返事をしようとしたけれど、
喉がうまく動かず、ただ小さく息が漏れただけだった。

「濡れてるから、着替えを置きます。……触れませんから」

その言葉に、胸の奥が少しだけ緩んだ。そっと頭を下げた。
誰かに優しくされることが、こんなにも怖くて、
こんなにも救いになるなんて知らなかった。
涙が止まらなかった。