喪失の夜に、あなたがいた

しかし——
その頃、街の別の場所では、まったく違う空気が流れていた。

高級ホテルのラウンジ。
静かなピアノの音が流れる中、ひとりの女性がスマホの画面を見つめていた。
画面には、カフェ「灯」から出てくる明莉の姿。
帽子を深くかぶり、マスクをしていても、彼女にはすぐにわかった。

「……やっぱり。ここにいたんだ」

玲奈は、社長令嬢らしい上品な仕草でグラスを置いた。
その指先は震えていない。
ただ、目の奥だけが静かに揺れていた。

「楓くんが……あんなふうに誰かを迎えに行くなんて」

幼い頃から楓の家とは取引があり、
玲奈はずっと楓を「自分の隣に立つべき人」だと思っていた。
完璧で、穏やかで、誰にでも礼儀正しい。
自分の家柄にも釣り合う。
そう信じて疑わなかった。

なのに——
楓は明莉を選んだ。

「……どうして。
 どうして私じゃないの」

その呟きは、怒りではなく、
自分の価値が否定されたような痛みに近かった。

画面の中の明莉は、
どこにでもいるような、普通の女性に見える。
なのに、楓はその女性を守っている。

「……あなたが楓くんを変えたのね」

玲奈はゆっくりと立ち上がった。
その動作は優雅で、誰が見ても美しい。
しかし、その足取りは迷いなく、まっすぐだった。

「私の居場所……返してもらうわよ」

ラウンジの静けさの中で、
玲奈のヒールの音だけが、異様に響いていた。