喪失の夜に、あなたがいた

仕事を終えて店の外に出た瞬間、明莉はふと立ち止まった。
夕方の光が街を淡く染めている。
その柔らかい光の中で、背中に小さなざわつきが走った。

(……また、見られてる気がする)

振り返っても、そこには誰もいない。
ただ、風がビルの隙間を抜けていくだけだった。
気のせいだと思おうとしても、胸の奥のざわつきは消えなかった。

「明莉ちゃん、大丈夫?」
店の中から美咲が心配そうに顔を出した。

「……はい。少し、風が冷たくて」
そう答えながらも、明莉は自分の声がわずかに震えているのを感じた。

美咲は明莉の肩にそっと手を置いた。
「無理しないでね。帰り道、気をつけて」

明莉は小さく頷き、店を後にした。
マンションまでの道は、いつもより少し長く感じた。
歩くたびに、背中に視線が貼りつくような感覚があった。

(……誰かが、私を見てる)

その不安を押し込めるように、明莉は歩く速度を少し上げた。

マンションの前に着くと、ようやく胸の奥の緊張がほどけた。
鍵を開けて中に入ると、静かな空気が迎えてくれる。
その静けさが、今は少しだけ心強かった。

部屋の奥で、楓が書類を片付けていた。
明莉の顔を見ると、すぐに表情が柔らかくなる。

「お帰りなさい。今日はどうでしたか」

「……少しだけ、怖かったです。
 誰かに見られているような気がして」

楓は手を止め、明莉の言葉に耳を傾けた。
「気のせいかもしれませんが……念のため、帰りは迎えに行きます。
 あなたが安心できるように」

その声は静かで、落ち着いていて、
明莉の胸の奥にゆっくりと沈んでいった。

(……この人がいてくれるなら、大丈夫)

そう思えた瞬間、少しだけ呼吸が楽になった。