喪失の夜に、あなたがいた

名刺をそっと置き、
明莉は部屋の掃除を始めた。

ゆっくりと、
できる範囲で、
無理のない速度で。

掃除機の音が静かに響き、
窓から差し込む光が床に広がる。

その光の中で、
明莉はふと気づいた。

(……少しだけ、動けるようになってる)

昨日までの自分なら、
掃除機を持つことすらできなかった。

それが今日は、
ほんの少しだけ身体が軽い。

約束ではないけど、
楓の言葉が明莉にはすごく大きなものになっていた。

心の奥で、
“再生の芽”が確かに育っている。

掃除を終えると、
明莉は窓辺に立ち、外の景色をぼんやりと眺めた。
遠くで子どもの笑い声がして、
風が木々を揺らし、
世界はいつも通りに動いている。

(……私だけが止まっていたんだ)

その気づきが、胸の奥に静かに落ちていく。

止まっていた時間が、
ほんの少しだけ動き始めた気がした。

明莉はそっと目を閉じ、
ゆっくりと息を吐いた。

(……少しずつでいい。
 少しずつ、生きていけばいい)

その思いが、
壊れた心の奥に静かに沈んでいった。