喪失の夜に、あなたがいた

芸能界は残酷だ。
人の痛みより、話題性を優先する。
彼女が耐えられるはずがない。

だから——
守らなければならない。

楓はコップを置き、ゆっくりと明莉の方へ歩いた。
彼女は気づいていない。
ただ静かに、夕方の光を見つめている。

「明莉さん」

呼びかけると、彼女はゆっくりと振り返った。
その瞳はまだ弱く、揺れていた。

「……はい」

かすれた声。
その声を聞くだけで、胸が締めつけられる。

楓は深く息を吸い、言葉を選んだ。
踏み込みすぎないように。
でも、逃げないように。

「ひとつ……提案があります」

明莉は少しだけ首を傾けた。
不安と警戒が混ざったような表情。

楓はその表情を見て、
自分の心が少し痛むのを感じた。

「あなたを守るために……
 僕と、契約結婚をしませんか」

その言葉が部屋の空気を静かに震わせた。

明莉は息を呑み、目を見開いた。
驚きと戸惑いと、信じられないという感情が一度に押し寄せている。

「……け、結婚……?」

「はい。
 もちろん、形式だけのものです。
 恋愛感情も、夫婦らしいことも必要ありません」

楓はゆっくりと言葉を続けた。

「ただ……あなたを守るために、
 世間に対して“盾”が必要なんです。
 あなたは今、活動休止中ですよね。
 いつ誰かが、このことを知るときが来るかもしれません」

明莉は震える声で言った。

「……どうして、そこまで……?
 楓さんに迷惑かけたくありません」

楓は少しだけ視線を落とした。
そして、静かに答えた。

「僕のことは気にしなくて大丈夫です。
 佑輔の親友だからです。
 あいつが守れなかったものを……僕が守りたいんです」

その言葉は、嘘ひとつない本音だった。

楓は続けた。

「ただし……ひとつだけ絶対の条件があります」

明莉は息を呑む。

「契約結婚は、誰にも言わないこと。
 芸能界にも、事務所にも、世間にも。
 あなたを守るためのものだからこそ、秘密にしなければならない」

明莉は震える手で毛布を握りしめた。

その瞳には、葛藤が揺れていた。
戸惑い、恐れ、そして——
ほんの少しの希望。

楓はその揺れを見つめながら、
ただ静かに待った。
彼女が自分の足で決められるように。