喪失の夜に、あなたがいた

楓の家とは昔から取引があった。
 幼い頃から顔を合わせる機会はあった。

楓は礼儀正しく、
 誰にでも優しく接する人だった。

その優しさを、
 玲奈は“特別”だと勘違いした。

(楓さんには、私しかいない)

その思い込みは、
 玲奈の中でゆっくりと膨らんでいった。

楓が誰かと笑っているだけで胸が痛み、
 楓が誰かを守る姿を見ると息が苦しくなる。

それは恋ではなく、
 「選ばれなかった事実への拒絶」だった。

そして──
 明莉の存在。

明莉が楓に守られている姿。
 楓が明莉の名前を呼ぶ声。
 楓が明莉の手を握る仕草。
 二人の姿を見るたび、

その全部が、玲奈の心を壊した。

「楓さんの隣に立てるのは……
 私だけなの……あの子なんかじゃない。楓さんには似合わない」

拘置所の薄暗い部屋で、玲奈は小さく呟いた。

その声は、
 誰にも届かない。

ただ虚しく響くだけだった。

刑事が扉を開け、
 短く告げた。

「白石玲奈。
 精神鑑定の結果が出ました。
 あなたは入院措置となります」

玲奈は顔を上げた。

その瞳は、
 もう“現実”を映していなかった。

「……楓さんは……?
 楓さんは来てくれる……?」

刑事は何も答えなかった。

答える必要もなかった。

玲奈の世界は、
 もう完全に壊れていた。

玲奈の両親はもう玲奈との関係を経ったかのように、一度も玲奈に会いに来ることはなかった。