Clover、たったひとつの記憶

 リエとのお見合いが破談になってから、3年。
 それでもリエにもう一度会いたいと思った。あの見合いの日付が巡る度、リエに似た女性とすれ違う度に。
 結局振り回されただけの見合いだったが、トミオにとってリエは初めて結婚を意識した女性だ。花について博識だったことにも驚きだったし、その花を愛でる彼女の横顔に夢中だった。
 そんな自分がいたことに後になって気づき、更に驚いた。
 しかし、その笑顔がトミオにむけられることは、ないだろう。それを思うたび、トミオの心は鈍く軋んだ。
 そして、樹々の葉が秋色に染まる頃。
 トミオは、母の主治医から母の余命宣告を受ける。
 病院の庭園でベンチに座り、ただ呆然と勢いよく水を噴き上げる噴水を眺めていた。

(もって半年……)

 勝手な話だが、両親はきっと長生きするだろうと思い込んでいた。親孝行もいつでも出来ると思っていた。
 父を看取った時のように、後悔だけはしたくはない。

(母さんのために何ができるか、考えるのはそれだけでいい)

 トミオが覚悟を決め、母親の病室に戻るためベンチから立ち上がる。
 その時、強い視線を感じた。どことなく既視感のある女性と目が合う。

(あれは……、リエ……さん?)

「イサキさん」

 落ち着いた声。目をそらさずに真っ直ぐにトミオを見つめている。記憶にある可憐なリエのイメージは、どこにもない。

「あなたは……リエさんなのか……?」

 看護師の白衣を着たリエは、堂々としている。記憶の中のリエは、儚げで弱々しい雰囲気だった。
 しかしトミオには確信があった。

(これが本来の、リエさんの姿なのかもしれない)

「はい。お久しぶりですね」
「そうですね、お元気そうで何よりです」

 突如リエの双眸が不安に揺れる。やはり気まずいのだろうかと感じたトミオに、リエは続ける。

「あ、あの。突然なんですが……」

 揺れる感情の中、伝えたいという強い意志はあの時と同じ。

「もしよかったら……今日の夕方、お時間をいただけませんか?」

 予期せぬ誘い。思わぬところで叶ってしまった願い。一も二もない。ついて出た答えは、

「喜んで」

 もっと気の利いた答えはなかったかと咄嗟に思ったものの、リエの笑顔でそんな思いは吹っ飛んだ。

「ありがとうございます。では駅前広場でいかがでしょうか。ええと……、18時くらいで」
「はい」

 淡々とした答えになってしまったことを悔みながら、トミオは会釈して立ち去る後ろ姿に見惚れた。
 
 -*-

 母親の病室へ戻ったトミオは、目が覚めた母親に声を掛けた。

「あら、何かいいことがあったの?」
「ん……、あぁ、いや、別に……」

 母親の指摘にギクリとする。慌てて否定するも母は何かを察したようだ。

「あなたもちゃんと親離れしないとダメよ?」
「……花瓶の花の水を換えてくるよ」

 赤いカーネーションの花が一輪挿された花瓶を手に取る。
 水はもう半分以下だ。それが何となく母の体力のような気がして嫌だった。

(こんな時に彼女と約束をしてしまって、本当に良かったんだろうか……)

 思考が纏まらない。そんな自分を認めるのも嫌だった。
 けれども、リエに寄り添って貰えたらとも思う……。

(俺は……。一体何を)

 病室に戻り、眠る母をしばし見守った後、静かに病室を出た。