終わらない夜に



名執さんと初めて出会ったのは、17歳のときだった。

当時の私は今よりももっとひどく母に虐げられており、なにかあるたびに叩かれたり暴言を浴びせられたり、毎日のように『あんたのせいで』と言われる日々を繰り返していた。

その日は学校から帰るとちょうど母の彼氏が家から出てきたところで、その男は私を見て『娘さん?かわいいね。女子高生かぁ』と笑った。

ニヤニヤとしたその言い方が気持ち悪くてゾッとしたし、普通の母親なら男に対して怒ると思う。
だけど母は私に対して怒りを向けた。

『かわいいって言われてよろこんでんじゃないよ!人の男に色目使いやがって!』

否定の言葉を言う間すらも与えられず、髪を掴まれ床に叩きつけられて、何度も頬を叩かれた。

『そうやってまたあたしの人生を壊すんだ!あんたがいなければ幸せになれたはずなのに!
あんたなんて生むんじゃなかった!』

それまでも何度も母から否定されてきた。
だけど、『生むんじゃなかった』と言われたのはそれが初めてだった。

これまで耐えてきた私の人生そのものが否定されたような気がして、初めて耐えきれずに家を飛び出した。

制服のまま鞄ひとつを手にして、駆け込んだ駅から電車に乗る。
財布に入っていたお金をかき集めたら今いる山梨県から都内までの片道分の電車賃になることに気付き、私はとりあえず知ってる地名から適当に渋谷を選んだ。

渋谷の駅に着く直前、電車の窓から駅前に建つ大きな建物が目に入った。
それは来年開業と話題の複合施設で、このエリア一番の高さを誇る建物だとテレビでいっていた。

……そこから飛び降りたら、この苦しさから解放されるのかな。
それだけを思って、建物に勝手に忍び込んだ。

完成間もない真新しい建物内は業者やビルの人が出入りしており、隙を狙ってエレベーターに乗り込むと最上階まで上り『屋上展望台』と書かれたところで降りた。

そこだけはまだ未完成の場所だったようで、工事の照明で照らされただけの殺風景な屋上だった。

目の前の柵から見下ろすと東京の夜景が一望でき、完成前から話題のスポットだけあって絶景だと思った。

ここからなら……。
震え始める手で柵をぐっと握り、乗り越えようと足をかけた。

『なにしてるの?』

その時後ろから声をかけてきたのが、名執さんだった。
のちに聞いたところ、当時23歳と入社1年目だった彼はこのビルの運営チームにおり、その日たまたま不自然に屋上に向かうエレベーターに気付いて駆けつけたのだという。

私が振り向くと彼は驚いていた。
制服を着た高校生が、頬を真っ赤に腫らせて立っていたのだから当然だろう。
なにかを察したように黙って、静かに問いかけた。

『ここは関係者以外立ち入り禁止だよ。警察呼んで家の人にも来てもらおうか』
『……ごめん、なさい』

警察という言葉に自分のしたことの大きさに初めて気付き、まずいという気持ちから下を向いた。
けれど、続けた彼の言葉は予想外のもので。

『……まぁ今日はこんなきれいな夜空だから、少しでも近くで見たくなる気持ちもわかるけどね』
『え……?』

その言葉に顔を上げると、頭上には広々とした大きな夜空にいくつもの星が輝いていた。

ここまで空なんて一度も見上げずにきたから気づかなかった。

それを見て思い出したのは、幼い頃に母に家から追い出された夜のこと。
玄関ドアの前に座り夜空を見上げて星を数えて、泣いて過ごした日の自分。

私は、そんなつらい時間ですらも否定されたくなかった。
『生むんじゃなかった』と後悔されるような子供だった、と思いたくなかった。

……そんなふうに言われたら、悲しいよ。
胸に込み上げた本音に涙があふれて、私はその場で泣いてしまった。
それを見て名執さんは深く問うことはせずに、ハンカチを差し出してくれた。